クマちゃんからの便り

液晶の白いモノ

極寒で氷結する自然の速度に振り回された年の暮れは、
ナマラ寒ぶいトマムの雪原だった。
凍りに苦闘を繰り返す夜、
古い電話回線でやっと開いたeメールに
辛うじて白いモノが漂う
ピンボケの写真が貼付されていた。

最近eメールを始めた村のスダさんからだった。
<ゲージツ日報>を観て、
年内に戻ることが出来ずにいるオレのFACTORYの
<神棚>を、新年用に整えてくれたという。

「村の仕来りに従って注連縄を新しくして、
 つきたてのお供え餅、酒、米、水を取り替えた。
 電池を何度取り替えても、
 こんな写真しか出て来ないのは
 やっぱし神様にカメラを向けては
 イケナイこんだなぁ。
 無事に凍るコトをお願いしておいただよ」

白いモノは十二本の注連飾りだったらしい。

ひょっとしてデジカメの故障だったのだろうが、
巨大な凍りへの畏怖のなかで
絶望的になりかけていたオレは、
有り難いものの神棚をヒト任せにしたコトを
少し悔やんだものだった。

自然の速度に身を委ね<凍り>への人智を
全て終えた大晦日の夜、
占冠村の常さんが年越し蕎麦を作るからと、
ジープで宿に迎えに来てくれた。
ささやかな飲み屋でカウントダウンして迎えた
二〇〇六年元旦は、落下サン、ミッキー君、
インカ、ハチ、アサヒカワなど
若い衆等と呑んで迎えたのだった。

先住民のように自然の速度に祈り、
剃髪を済ませてから型枠を外すと
美しい凍りのオブジェが現れ、
まさにお目出度い幕開けになった。

生まれてすぐに鼓膜を失っている耳穴で捉えた
確かな音は、頭蓋のズーッと底から湧き上がるような、
否、遙かな大気からかも知れないが、
まだ見えない音は古代人も聴いていたかも知れない、
MIRACLE‥‥。

一ヶ月留守にしていた武川FACTORYに還ってきた。
武川は雪のない長閑な春の終わりの景色だった。
ただ眠って過ごしたかった。
ところが、なんてこった。
ただでさえ<風の通り道>のド真ん中にある
FACTORYは、屋内の蛇口をひねっても
固まったままだった。
水道が全部凍ってしまっているじゃないか。
これでは茶のいっぱいさえ飲めない日が始まるのか。

それでもどうにか全部の蛇口をゆっくり全開にして、
ストーブを点けた部屋が暖まるまで
ダウンコートのままで待つことにした。

凍りに呪われたような部屋に
本田美奈子の<アベマリア>が流れ、
そのまま眠ってしまった。
何度リピートしたのか‥‥物凄い水音で目を覚ます。
地球の水が一斉にオレを襲ってくるようだった。

工場中の水道が騒ぎ、
風呂はモウモウと湯気を噴いている。
蛇口を止めて走り回ったのが、
工場でのヤレヤレな初シゴトである。





松が明けた朝、
落ち着いて神棚のロウソクを点し一礼二拍手一礼。
スダさんのメールに従って
工場の神棚を片付けている最中だった。

「いるけぇ」

「オー、居るだよ」

突然鳴るケイタイにオレも山梨弁になっていた。

「ああ、やってるだね」

「いろいろ悪かっただね、ありがとう」

「イイさよぉ、うまく凍って、おめでとうゴイス」

ゴイスとは数少ない甲州弁の丁寧語らしい。

「片づけた神棚の飾りは西の方角の樹に縛るだよ。
 理由は分からんけんど仕来りだから」

低い陽が沈んでいく甲斐嶽の方角にある
アカマツの幹に括り付けた。

イタリアのジョバンナ、フランスのドミニク、
ドイツの婦人からeメールが届いた。
ニューヨークのキューレターのMorganは
「いつか、また新しい場所で会いたい」とあった。
凍りの儚いジカンは、オレのヒカリへ
新しい旅の始まりになるのだろう。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2006-01-13-FRI
KUMA
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