クマちゃんからの便り |
村のジョプリン 落下サンから飛んできた写真メール。 雪原インスタレーション <Ah‥‥Mr.Blue longs to be sky, will turn into "H2O">が、 寒気のなかでまだ毅然と立っている。 遅い春へのジカンに、 紫外線はオブジェの中を浸食して 凍りを少しずつ野山に還えしていくのだ。 あの零下のジカンはもう大分前の出来事のようだが、 まだ二、三週間しか経ってないのだ。 ノンビリしようと一週間前、 村のオノ商店で食料を三五〇〇円分購入して、 武川FACTORYに入ったまま蟄居の日々だ。 掘っ立て小屋風の部屋は相変わらずクソ寒ぶい。 小学生が自分の町で見付けてきたスクラップ群で、 オレがメモリアルタワーを創るという <川口>での鉄の作品展示は、 今まで創ってきたオブジェ群が中心だ。 奈良の広大な朱雀門前を、 五〇〇張りの蚊帳で古代の風のカタチを捉える 二日間だけのインスタレーションだ。 武川米にインディアン米を混ぜてメシを炊き、 岩塩を塗した握り飯をフリーズした保存食。 一個づつ解凍して食いつなぎ 読書三昧でまだ遠い春を待つ。 米はスダさんに持ってきて貰う約束になっているが そろそろ村まで、 『タマゴ、ダイコン、タマネギ、キャベツ、 溶接棒、ハンダゴテ』 メモの買い出しに行こうと思ったが、 チャリンコでは寒ぶいし、読書にも飽きてきたから、 部屋の掃除をしていた。 引っ越しのままになっていた段ボールの底から、 分厚い本が出てきた。 『こんな処に隠れていたか』。 自分で丁寧に掛けた赤いビニールのカバーで、 十数年前、古本屋で手に入れた<華厳経>の本だと すぐに分かった。 何処へいったか分からなくなっていた。 韓国の詩人・高銀が<入法界品>を 小説に仕立てたものだ。 なんだか得をした気分になり、 空腹のまま、善財童子の求道の旅の <叙事詩>でココロ遊びながら、 三本残っていたサツマイモを、 ストーブにかけたダッチオーブン鍋で焼く。 iPodのイヤホーンでジャニス・ジョプリンの <サマータイム>を注入しながらイモを喰い、 ときどき現れる詩を朗読していたら、 <叙事詩>の旅の句読点が屁になっていた。 本物の<入法界品>は膨大な退屈なモノなのだが、 当時のオレが大枚を払って どんな気分で購入したのか思い出せない。 自分でカバーを掛けたところを見ると、 大切には思っていたのだろう。 今になってみると、 落ち着いた蟄居のテキストにはピッタリだ。 頭蓋のなかで五〇〇個の蚊帳が、 風のカタチにうねっていた。 しかし、ヒトと喋ることもなく一週間は長すぎる。 村まで歩いていると 「何処行くらか?」 村のスダさんだ。 「いっぺぇやるだか?」 山梨弁で誘ってみると 「イイだねぇ」 と顔を崩す。 連れだってラーメン屋に入り 久しぶりのショーチューを呑む。 狭いメシ屋は村の寄り合い所になっていて、 いつか見覚えのある村の衆の顔ばかりだった。 先日寒波での破裂を直してくれた水道屋もいた。 いつの間にか店内は春奉りの話しになっていた。 「チンチンドンドンチンチンドーン‥‥」 誰かの口囃子を 「イヤ違う違う、 チンチンドンドン チンチンカーン ‥‥だぁずら」 と修正する者が出てくる。 割り箸のバチでテーブルを太鼓代わりに叩く者もいる。 太鼓や笛の<楽>の音は、 あちこちの集落ごとで違っているらしく、 代々長老からの口伝えだと聞いていた。 伝える前に長老が死んだら、 残った者等の記憶を辿るしかなく、 忘れてしまえば途絶えてしまうモノだ。 彼等とは同じ村だが集落が違うスダさんは オレの隣で呑んでいた。 突然、 「ピーヒャり ヒャラリトー ノ オチチガ タラリト ヨーだずら」 と彼が調子よく口ずさむ。 みんな呆気にとられて彼の方を見た。 すっかりショーチューで酔っていた彼は モヤシ炒めを口から飛ばしながら、 「オラの神楽じゃ、ドン カカッカカァ ドンカカッカカァ カー」 今度はどうやら太鼓の音だ。 段々調子が出てきて太鼓に笛の口囃子を混ぜ込む。 スダさんが吐き出す活き活きした囃子に引き込まれて 他の集落の衆達も合わせて手を打ち始めた。 「オチチガ トロリト ヨー」 の間の手も入れるから、 店中が春の御田植え奉りのようになった。 「この頃は小学校で祭り太鼓や笛を 楽譜で教えているようだが、 オラたちはこうやって覚えただよ」 スダさんは真顔に戻ってオレに言う。 「オチチガ タラリト ヨー」 オレの頭蓋内では、 <サマータイム>と混ざって 土臭いエロティックなフレーズが いつまでも残っていた。 |
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2006-01-25-WED
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