クマちゃんからの便り

セキレイ糞をひる

山岳地帯の梢もうっすらと霞んでいる。
オレの林では、
サクラのツボミが膨らみはじめたばかりで、
ウメのツボミは昨日みっつ破裂した。

昨夜の吸いさしのCOHIBAに火をつけ、
シャッター前で日向ぼっこだ。
うららかな煙越しに、
ゴールデン・ウィーク過ぎまで
雪の消えない甲斐嶽の稜線が、
クッキリとそびえている。
二週間もすれば<神代桜>も
樹齢にムチ打ち可憐な薄紅を爆発させると、
善男善女を満載した観光バスが往き来する。
彼等は老残サクラに我が身を移し、
感嘆の声で見上げた挙げ句に、
根元を土を踏み殺してしまう。
何年か前に歩くコースを少し湾曲させたらしい。
今年も四月一〇日前後にはこの辺りの道も
賑やかになるんだろう。

シャッターの中は床を突き破り、
絡み合い逆さまに伸び続ける植物の根のような
スクラップが陣取っている。
巨大な植物退治のように、
グニャグニャの異形鉄筋を
朝から一本一本バーナーで断りだしては、
ハンマーで叩き延ばし溶接して
新しいカタチに変換しているのだ。
この作業でマスクの遮光硝子も
紫外線スパークから完全には防御しきれていない。
晴れたシャッター前の地べたにゴザを敷き、
見慣れた甲斐嶽に
少しやられちまった目玉を遊ばしていた。
涙が流れて止まらないのは、
ただ灼けた網膜にヒカリが刺さるためだ。
目を閉じては風が運んでくる寂音に聴き入る。

このところよく見掛けるセキレイが
長い尻尾を振りながら、
ウメの下の枯草を掻き分け歩いていた。
「そろそろムシも湧き出してきたかい」
と声をかけてしまった。
山籠もりの普段に、呟いてるやもと疑っていた
独り言の現場を、とうとう捕まえたのだ。
尻尾の忙しない上下運動の上げた合間に、
糞をひびり出したセキレイは、
「ぼちぼちでんな」
というような顔でオレの方を見たが、
すぐにその向こうの枯れた繁みに
ムシを捜しに行ったから、
オレはまた独り言のような屁をこいた。
セキレイは枯草の景色をしみじみ読んだりせず、
餌になるムシさえ感じ取ればつついて喰うだけなのだ。
さっき通り過ぎた犬もそうだろうし、
夜中にゴミ箱を漁ってスカを喰ったムササビも景
色なぞを観たりはしてない。
見ているのはいつも餌になるモノだけだ。
そういえば最近姿を見せなくなったカラスは、
オレの存在がけむたいか餌の無いことを
見切ってしまったらしい。

小学校六年の校外写生の時に、
<室蘭岳>を描かされた。
担任は親指と人差し指でL字型を作り
直角に合わせた四角形を目の前にかざしながら、
「こうして切り取った景色を描きなさい」と言った。
きっと遠近法について教えてくれたのだろうが、
オレはその格好が何だか恥ずかしかったから、
望遠鏡のように左掌を筒状にして目に当てた。
見慣れた室蘭岳を覗くと、
ちっぽけな山が暗くクッキリして見えた。
後になって検査でひどい乱視が発覚したのだ。
オレはとりあえず室蘭岳をさっさと描き終えた。
このままではなんだかつまらない絵に思え、
岳に遊びに行った時に見て覚えていたコクワの実や、
軍艦バッタやエリヤの馬鹿、
ユートピア牧場や地蔵さんや、
首つりの樹や、牛や馬などでその上を埋め尽くした。
ムロラン岳をゴチャゴチャになったけど、
変な仕草で景色を観察せずにすんで大満足だった。
懐かしくもない束の間、
ココロの歪んだ遠景とダブっていたのだ。



急に冷えてきて甲斐嶽がたちまち雲に覆われた。
灼けた目の前が突然、
花びらのような雪が渦を巻き
景色は粉々になったようだった。
腕枕で転がっている場合ではない。
夜鷹のようにゴザをクルクル巻いて
オレもFACTORYに退散した。
この時期の山岳気象は気まぐれなのだ。
水平や垂直をなした一本一本の異形鉄筋が空間を区切り、
異なった弧の群れがそれぞれと交わり
他の鉄筋と繋ってきた。
雪の乱舞も終わってしまったようだし、
残っている鉄筋の根っこも少なくなっていた。
もう溶接の変換作業もそろそろお終いに近づいた。

「あっ、大シゴトがまだあったわい」

スクラップの異形鉄筋の楕円球を
<白>で隠蔽する作業が残っている。
戒めの独り言だった。
独り言はもう一人のオレなのだ。

クマさんへの激励や感想などを、
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2006-04-02-SUN
KUMA
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