クマちゃんからの便り |
飛行するヴァイオリン 山籠もりのFACTORYで、 自分が鉄を打つハンマー音と、 溶接のビード音の単調な作業音に包まれ、 もうひと月ちかく過ぎていた。 溶接作業のこのシリーズも、いよいよ最終段階だ。 スクラップ鉄筋を溶断するたびにバーナーの火炎で、 炭素がまとわりついていた塵、芥のたぐいと 一緒に燃えだし、 黄色く濁った煙が遮光面の裾から上がってきた。 頭蓋の孔という孔から不愉快な気体が這入りこみ 脳ミソを刺激するのだ。 蓋の出来ない眼を瞑るワケにもかかないし、 嗅覚を無くしているが鼻に塵紙を詰めるのも鬱陶しい。 左の鼓膜もないのだが、 両耳の孔をiPodのイヤホーンで塞いだ。 しかし小さな電子機器は溶接機が放つ強い電磁波に弱く、 リセットを防ぐために 作業服の胸ポケットから尻ポケットに移す。 音楽的な教養の乏しいオレの周りには、 音響装置なぞはない。 最近、ポケットのなかに入るiPodを奮発した。 自然音に溢れた山籠もりのひととき、 <ラマ僧の読響>や<ジャニス・ジョプリン>など ヒトの音声を聴くためだった。 CDを一度パソコンに取りこんでから、 それをiPodに移す手続きで何百曲も溜めておけるらしい。 ポケットのジュークボックスだ。 いつでもイヤホーンで聴き出せるのだ。 <誰でもピカソ>のゲストだった ヴァイオリンの<五嶋龍>からプレゼントされた CDも取り込んでみると、 なんと<ヴァイオリンの美しい音>が流れ出てきたのだ。 特に武満徹が作った<悲歌>の ヴァイオリンが豊富な音だった。 五嶋という少年のこともよく知らなかった。 ストラディバリを自分の部位のように、 いとも自在にコントロールする美しい音が、 単調なリズムになっていた脳ミソを、 <ジカン>と<空間>の感覚を拡げるのである。 リプレイを繰り返して制作していると、 ついにオブジェの完成だ。 すると解放された声が噴き出した。 まだ熱いスクラップの断り口に引っかけた手の甲から 薄く白い煙が上がった。 生肉が灼ける美味そうな煙だった。 こんな時の匂いはどんなだろうと想像したが、 ヴァイオリンの音色が皮膚が白く捲れ 痛みとシンクロしながら チリチリと染み込んでくるようだった。 イヤホーンを外し、救急箱から取り出した<馬油>を 傷口にすり込んだ。これがよく効く。 「障子あっただよ。 村はずれの家具屋のイッチャンのとこずら、行くけぇ」 奈良のインスタレーションで、 天と地を繋ぐ飛行物体がほしかった。 それはそこらにある凧ではなく、 障子で空飛ぶ三角柱を創ることを考えていた。 村のスダさんに古い障子を探してもらっていたのだった。 明日からは飛行物体に取りかかる。 <五嶋龍>のヴァイオリンが、 オレがいる「此処」を甲斐嶽の向こうまで拡大していた。 タンポポが咲きだし痙攣するモンシロチョウが空にいた。 火傷から這入りこんで 奥深くに突き刺さっていた曲が終わり 音はたちまち消えてしまったが、 チリチリ感はますます増して皮膚が再生し始めていた。 沈む陽をキラキラ輝かせた雲の一点に集中していた。 美しい楽曲の残音がオレの飛行感を満たしていたのだった。 |
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2006-04-07-FRI
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