クマちゃんからの便り

高速踵が脳を撃つ

スクラップのオブジェを造り終えた。
一本一本が白く反射し合い
レース編みのように霞んでいた。
夜空に浮かび上がる満開のサクラの樹のようでもある。



溶接機を片付け道具箱を整理していると
<土佐鉈>が出てきた。
この鉈は、樵や猟師達の伐採作業の必需道具だ。

かつてレールを枕木に固定する
犬釘のスクラップを集めては
ゲージツしていた時、
廃線で不要になったから
持って行けということになった枕木は、
コールタールの防腐剤がベットリ塗ってあったし、
木工ノミではとても刃がたたないほど
硬くて放っておいた。

金物屋で<土佐鉈>を見つけて、
一打ごと叩き斬るたびに現れるカタチに
遊んでいたものだ。
可能性も垣間見たのだがその時は気まぐれで終わり、
それ以来すっかり忘れていたのだった。

<アズサ>の時間がいよいよ迫っていた。
埃の積もった木製の鞘のなかで
錆びていた刃の無惨が気になった。
完成したオブジェの脇で、
指先から砥石に水を垂らしていねいに
手の延長を磨きはじめていた。

だんだん刃先がヒカリを取り戻していたがなぜ、
<鉈>を磨ぐことに夢中になって
止められなくなったのかは自分でも分からない。
ただ頭蓋内で未だカタチのないモノが
勝手に蠢きだしていたような気がしていた。

カミソリで撫でたように、
五年前の古新聞があっさり斬れ、
ギラリとした鉈が完全に復活していた。
丸太に鉈を打ち込みやっと出掛ける決心をした。

村の衆に軽トラで雨の駅まで送ってもらい、
なんとか<アズサ>に飛び乗った。

レールの継ぎ目が鳴る規則的なリズムが眠気を誘う。
鉄路が奏でる規則的なビートのヴァイブレーションを
スキンヘッドの頭蓋骨が直接感知し、
脳ミソを震わせて睡っているα波を揺り起こすらしい。
眠気に墜ちる。

二〇年ほど前、増上寺の境内に響きわたる
激しいリズムの<サムルノリ>の公演で、
心地イイ夢のような中に墜ちたコトがあった。
新宿のダンモの茶店<ヴィレッジ ゲート>の
巨大なスピーカーに、
右耳を貼り付けて聴いたコルトレーンのリズムに、
脳が揺れた時もそうだった。

最近<誰でもピカソ>の収録で出会った
SAVION GLOVERが蹴り出す
物凄いビートを目の当たりにして、
ヒトのカタチをしたカミだと思ってしまった。
彼の身体が産み出すあの激しく正確で高速のビートは、
もちろん誰にも出来ることではない。

音楽をする才能は端っから持ち合わせてないことを
知っているオレは、立ち会い愉しむコトは出来る。

いつかもう一度あのビートのミュージックに、
生でたっぷりとまみれる機会を願っていたのだ。

久しぶりの土砂降りの東京国際フォーラムCホール。
上体を低くしたセヴィアンの踵が
指揮者のタクトのように床を打つと、
ヒトが発明した九個の楽器で編成された
オーケストラが音をはじめ、
同時にセヴィアンの蹴り出す
高速のリズムとビートが加わり、
聞き覚えのあるクラシックの曲が複雑になっていき、
すでに新しい音楽になっているのだ。

彼の踵が創りだすヒカリの<点>のような音が、
彼方へ飛んでいきたちまち接近してはアップになった。
かと思えば飛び散り、また集合するのである。
それが同時にあっちこっち
自在に勃発しているかのようだった。

<自然>であるヒトの身体を支える二つの踵が、
重力のもとで<太古の無限のメモリー>を踏み鳴らす。
無数の消点が飛び交う美しい<出来事>である。

オレの脳ミソは感じたことのない、
遠近法とは違うセヴィアンの
高速パフォーマンスが創り出す、
色や景色やカタマリに見とれ、
揺れながら至福に浸っていた。

最後まで息を乱すことのなかったセヴィアンが、
スタンディングオベーションで
初めてピュアな笑顔を見せた。
酒場なぞで、せっかくの高速ビートを溢さないように、
定食屋でキンメ定食を喰いソソクサと
<アズサ>で山に戻った。

トラックがスクラップのオブジェを引き取りに来た。
荷台のオブジェが白いレースの
カタマリになって消えていった。



またFACTORYはガランドウになった。

丸太にセヴィアンのような佇まいで
突き立っている鉈を引き抜き、
握り直して高速で叩き斬る。

セヴィアンの踵が撃ち出していた
<…FOR NOW…>のフレーズの
メタファーに漂っていた。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2006-04-16-SUN
KUMA
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