クマちゃんからの便り |
空白のジカン 風の遠近法の中で とつぜん揚力を失った雲雀の急降下は、 寸止めのソフトランだ。 新芽の草むらを小走りでムシをついばみ ヒラヒラとタッチアンドゴー。 広大な古代の空き地をヒカリの斑が絶え間なく走り、 蚊帳生地のキューブが モモイロに痙攣する景色を眺めていた。 古い記憶を刺激して、 クシャミが出そうで出ないでいる気分だった。 真新しいミドリイロと淡いモモイロの補色関係は、 いつか何処かで出会ったようなヒカリの景色だ。 ついにゴミ箱のなかで見つけたあの映像と重なった。 ガキのジダイを製鉄所の社宅街で育ったオレは、 生まれて間もなくジフテリアを患い すでに左聴覚と嗅覚を失っていたのだが、 喪失感の自覚はなかった。 ただいつも世界との距離を感じてはいた。 家の前には大きな木製のゴミ箱があって、 風呂敷をマントにした近所のガキどもが 次々に飛行しているのを、 物陰からボンヤリ空を眺めているだけのオレは、 近所で有名な<バカ>だった。 しかし通りに誰もいなくなる一瞬に、 忽然と自分を消す カミカクシはオレの秘密の特技だった。 後ろ手に蓋を開け、そのまま背中で回転して ゴミ箱のなかに墜ち、 墜ちながら蓋を閉めるという早業である。 コールタールの防腐剤を塗った 薄暗く生温い空気に包まれて、 誰にも邪魔されずに メリヤス編みに熱中出来る空間になった。 毛糸が無くなれば、銅線やワラや布きれ、 新聞紙などひも状のモノなら何でも編み込んでいた。 セーターや手袋など役に立つモノではなく、 編み棒に作った二十一の目を ひたすら編み続けていた 帯状の日記だったのかもしれない。 気がつくと、 ゴミ箱の三分の一ほどにとぐろを巻いていた。 その上に座ったはずみにあの映像を発見したのだ。 見慣れた自宅の庭に咲き乱れていたコスモス群が、 ゴミ箱の反対側の壁で逆さまに小さくなって 揺れているではないか。 まだテレビなぞというモノが存在しない頃、 動く景色の影像を見ているうちに、 めまいしてオレが曖昧になっていくように フワフワした気分に襲われたものだ。 モモイロの風に吹かれた広大な空き地が、 五〇年ほど前のゴミ箱の中にいるような あのフワフワ感になっていたのである。 惚けていたオレの背後に、 修二会を終えた東大寺塔頭住職の 森本公穣さんが佇んでいた。 ひと月にわたる参籠のあいだじゅう着ていた 和紙の着物を、わざわざ持ってきてくれたのだ。 寒い堂内の燈明の油煙でススけているのも有り難く、 FACTORYの山籠もりでオレの睡る衣裳にする。 土塊を掴んで一〇〇個の香合をつくる約束した。 <華厳唯心偈>の経文一〇〇文字を、 一個にひと文字ずつの底に刻み込み、 KUMABLUEの硝子の欠けらを溶かし込むのである。 蓋を取れば掌の上の小さな海に、 唯心偈が沈んでいるという志向を説明すると、 荒行でますますすっきりした彼は、 曇りのない声で笑った。 これから奈良を訪れるたび、 <写経>のようなオレの土塊を、 <知足院>の守屋長老の窯で灼くことにした。 濡れた舌でオレの掌を舐めては何かを伝えようとした ダウン症の少女や、知的障害でコトバは喋らない 多動症の八十歳ちかい老姉妹。 分かり合うことはないのだろうが、 オレに新しい何かを伝染させてくれた。 押し寄せる屁のような情報に囲まれたジカンに、 空に惹きつけられたガキのジカンを取り戻していた。 奈良は訪れるたびに奥深いわい。 久しぶりに房総の海に漂うつもりでいたが、 仕掛けを作る眼は霞むし、 混んだ電車を乗り継いでまで 釣りに行くのも面倒になり、 予定を取り止めにした。 時間や空間に少しでも隙間をみつけては 必死に埋めたがるのは、貧乏性というビョーキだ。 黄金週間をただボンヤリとした <空白のジカン>にしていた。 もうすぐ特注の鑿の刃が仕上がってくる。 またジタバタする日々の再開だ。 |
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2006-05-12-FRI
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