クマちゃんからの便り |
露光 さっきから甲斐駒を覆っていた真っ黒い雲の奥を 音もない稲妻が切れ目を入れていた。 冷たい風に変わり、だんだんこっちに来る気配だった。 木との試行錯誤で腹が減り、 冷蔵庫を開けるとボンヤリした怪しい冷気が オレを襲ってきた。 ニワトリだ。 ステンレスのボールの底に張りついている ニワトリの肉は、村人が持ってきてくれたお裾分けで、 岩塩と胡椒をまぶした楽しみを忘れていたのである。 臭いは分からないが岩塩と胡椒が 腐敗を食い止めているはずで、 灼けば今晩ならまだ間に合いそうだった。 部屋が一瞬強いヒカリに溢れた。 さっきの黒雲がとうとう大粒の雨になった。 作業を中断してボンヤリしていた頭蓋で、 木やコンプレッサーを取り込んだ判断に満足した。 ニワトリの肉を撮影する気まぐれに小さな幸福を感じた。 レンズのないピンホールの小さな穴から、 あいまいな光をブロニー判のカラーフィルムに取り込む 露光は十五分と決めたのだ。 右手のなかに、過ぎてゆく<今>を秒針が刻み もう十三周したストップウォッチがあった。 握る右手首を支えていた左手に、 一秒刻みの秒針より少し早い自分の脈を感じて、 もうひとつの心臓を掴んでいるようだった。 拳ほどの大きさらしいオレの実物の心臓は 脳ミソでもコントロールできなく、 オレの出現いらい始動してエンストもおこさずに 半世紀以上も機能しているのだ。 きっとストップウォッチほど軽くはないのだろうなぁ。 「今だ!」という瞬間はたちまち過ぎ去り、 積み重なった<今>の記憶を納めているのは 脳ミソなのだろうが。 男の生死を確認するために手首を取っていた医者が おもむろに首を振るシーンを見たことがある。 あの時に男の<今>が終わったのだ。 ついでながらとは言え、 自分の脈に今さら生存を覚えるのも妙な気分だった。 物凄い落雷と雨が一緒にきて、 森の景色を歪ませた窓硝子を 阿弥陀クジのように伝い落ちる雨水を目で辿っていると、 水の底に孤立してスッカラカンの頭蓋に、 東京の地下を根っこのようにはり巡った 暗い流れの下水道を、 胸まであるゴム長靴を履いて歩いたことが浮かんだ。 しかしすぐに、今年は親父の十三回忌だった 別の考えに変わっていた。 あれからもう十三年も経ったのだ。 またFACTORYの頭上で雷が鳴った。 『あと五秒‥‥四‥‥三』。レリーズを離す。 目に張りついた秒針や、 繰り返す脈が忘れていた過ぎ去った<今>を掻き混ぜた 渦巻きからやっと自由になった。 道具を片付けていたとき、 くすんだ森の色をした制服の郵便配達が来て、 楷書で本名のサインがなければ渡せないのだと 慇懃無礼に言った。 KORYA君の同僚<お茶々>からだ。 被る現場用ヘルメットは皆無というほど 頭が大きすぎる彼は、少し慌てん坊で 役所ではミスが多いらしい。 趣味の写真機を持つとヒトが変わったように じっくりと光やモノを見つめるのである。 しかも<茶農家>の出身だとかで、 お茶の入れ方が丁寧なのが信頼できる。 思いだして開封した中身は、奈良の平城旧跡で、 <ソゾロカゼ>の景色を創ったオレが帰京した後も、 夜や早朝に出掛けて撮影してくれたらしい。 紙焼きした写真と、デジタル写真を納めたCDだった。 春先の<今>を捉えたソゾロカゼの記録だった。 トリ肉を喰ったら、<二〇〇六第三弾>で また奈良で創る<樹のオブジェ>を試作しなくては。 |
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2006-06-13-TUE
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