クマちゃんからの便り |
空飛ぶ棺箱 まだ利く方の足を挙げ、 宙を掴んでグーチョキパーしてみた。 この野太い左足は、確かに見慣れたオレのものである。 度が過ぎる<厳格>から逃げ出し、 何十年ぶりに対面した親父は、 赤十字病院の生命維持装置に繋がった 臨終のベッドの上だった。 毛布からはみ出た生活反応も消えつつある 甲高幅広の足は、 地面に張りつく愚直な労働者のものだった。 思わず下駄の上で緊張している自分の足と見比べた。 鼻緒からはみ出している 分厚い爪の形までそっくりな親指に、 ちょっと可笑しくなった。 間もなく維持装置が停止した。 無言の親父の爪のついたオブジェから、 最後のやさしい厳格を素直に受け取ったのだった。 「なまら痛てぇ」 今の問題はこの左足である。 クルブシも甲の境目もなく倍ぐらいに ブヨブヨと赤く腫れ、 イボのような指が先端に生えている様は まるでジュゴンの鰭だ。 動かそうにも、 どうにもコントロールが効かないばかりか、 呼吸とともに<激痛>が騒ぎ出すのである。 「チクショーめ、こりゃぁまた、痛風だわい!」 寒気に包まれてただジタバタのたうつばかりで、 巣から這い出ることさえ出来ないでいた。 狭くなってきた部屋に、 畳一枚ほどの寝床を 床から一メートル上に組み上げていたのだ。 簡単な梯子で鳥の巣に昇り、 睡りに墜ちていくという工夫だった。 この冬は寒さを凌ぐため ベニヤ板で囲いを巡らせた巣のなかに 電球一個を引きこみ、 しかもムカシ、バリ島で見つけた変な図柄の額を掛けた。 熱帯の重い空気に充たされたジャングルのなかで、 獅子に頸を食らいつかれた牛がなぜか血を流しながら 恍惚の目を剥いている細密画である。 その周りでは鳥やトカゲや小動物が 何食わぬ顔でいる変な図柄だ。 少し小さい方の額は 「眼鏡猿 栗鼠猿 蜘蛛猿 手長猿 月の設計図を盗み出せ」 歌人・穂村弘が万年筆で書きつけた画面に イラストレーターの井筒が添えた絵だ。 小さな棚に何冊かの文庫本や、 老眼鏡とペットボトルが載っている。 しかし、春になると暗さが鬱陶しくなるから 取り払うつもりでいたが、 面倒なのでまだそのままにしていた。 睡りに墜ちるつかの間、 夢の旅を駆け巡る<空飛ぶ棺桶>に、 なんだか馴染んでしまっていたのだ。 初めての<激痛>は 厄年に体験した贅沢病といわれる<痛風>である。 あの時期は肉体労働と、 トリモツだけのメシと酒の毎日だった。 あれから相変わらず贅沢とは縁遠い暮らしなのだが、 酒や獣肉なぞほとんど口にしなくなっているというのに、 前回より遙かに強烈である。 床と繋ぐ梯子の高ささえ恨めしい。 死闘は夕方近くになっても激しくなるばかりだった。 獅子は<激痛王>となり、 今は牛であるオレに襲いかかっているのだ。 ただ痛みに耐えるばかりで、勝ち目はない。 「枝を山から集めてきただよ、工場に運ぶずら」 下からスダさんの声だ。 「おーい、助けてくれぇ」 オレは痛みを吐き出すように叫んだ。 駆け上がる音がグルグル近づいてくる。 ラセン階段を昇っているのだ。 「どうしただぁ」 「イカン、足が動かねぇ、 今度はドクトルを積んできてくれやぁ」 とすがるように頼む。 くすぐったそうな顔に笑いを堪えながら 「いいだよ」 と言い村へ降りていった。 鳥の巣でジタバタするジュゴンの鰭は、 自分でも吹きだしてしまった。 釣りの好きなドクトルは、 巣から垂れ下がっているオレの腕に鎮痛剤を打ちながら 「腫れはすぐにひくさよぉ。 この前、日本海で釣りしてたら 隣の人が大きなヒラメを獲っただよぉ」 関係ないコトを言う。 オレを気遣ってくれたのだろう。 スダさんが置いていったカボチャを蒸かして喰う。 今度は枝との格闘である。 空飛ぶ棺箱はオレを乗せて、 物凄い巨大なヒラメを仕留め損なう夢の海に飛んでいた。 ホームページの内容が大充実にリニューアル。 充実した作品群をお楽しみください。 http://www.kuma-3.com/ |
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2006-06-27-TUE
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