クマちゃんからの便り |
グルリ山岳地帯 往きは新幹線で名古屋、 ローカル急行に乗り換えて<駄知>まで。 かつては有数の陶磁器生産量を誇っていた 岐阜の窯場だ。 大規模な窯場が当時の姿のままで、 小さな町のあっちこっちに残っている <織部>の里である。 壺や茶碗だとか 茶道具などを造る陶芸には興味がないのだが、 去年の秋、古い知人の関わりでブラブラと訪ねてみた。 山の鳥料理と酒を馳走になった席で、 話題になった町はずれの小さな<お不動さん>。 ガキの頃はモチ蒔きがあったり、 滝下で魚取りなどで親しまれていたが、 今ではあまり見向きされてないという。 翌朝、酔い覚ましの散策に辿る細い参道は 荒れ放題だった。 滝の音がしてきた樹々の奥に小さな祠があり、 瓦は痛んでいた。 「こりゃ、イカンわい。バチ当たりどもがぁ‥‥」 呟いていた。 「やっぱりねぇ、じゃヨロシクお願いしますネ」 知人は不可解な笑顔で言う。 「ヨロシクって何をだ」 聞き返す。 前夜の席で、地元の若い陶工や小学生らに 灯籠と瓦を焼かせて、 <お不動さん>への奉納を オレが手助けしようじゃないかと言ったようだった。 もう後のマツリだったが、 窯場通いはこんな切っ掛けではじまった。 春まで時間の都合をつけて ちょっとした旅行も悪くないか。 もう操業はしてないが そのまま残っている作業場を 貸してくれるという好意に従い、 今回はその工場に向かう。 まだ充分時間があったから、 藪椿の花がボトボト落ちている坂道を 上り下りしての散策。 それにしても山間の窯場は底冷えがする途中に、 当時は最新式だった大規模な トンネル炉の廃工場があった。 シャッターの隙間から這入りこみ煉瓦の瓦礫を眺める。 100人以上のヒト等がたち働き、 大量のドンブリを生産して全国に出荷していたのだろう。 玉子丼、親子丼、カツ丼、 豚丼、牛丼、イクラ丼、カレー丼。 鰻丼ってのもある。 開花丼、他人丼、切りがないが、 ムカシ、オレには<ドンブリ物>は 非日常のゴチソーの王だったが、 今や哀しい店屋物になってしまった。 マ、大量生産の陶磁器なぞ 中国産には適わないのだろうが、 織部の里の窯で地元の鎮守に奉納する 灯籠ぐらいは焼けるだろう。 薄く薄くした白い磁器の土に コバルトブルーのクリスタル硝子を包んで 遊ぶコトをしてみたくなったのだ。 1300℃の火炎の中で膨張係数の違う土と硝子が、 小さな海のヒカリを創るだろう。 そんな直感に身を任せてみることにした。 帰りは<多治見>から急行・信濃で<塩尻>。 ガラガラだったが山また山をすり抜けていく。 吹きっサラしの塩尻駅で立ち食いの <トロロそば>を喰う。 中央線アズサが来る。 小淵沢乗り換え、 各駅でもう真っ暗な<日野春>に着いた。 冬 の 蠅 グ リ ー ン シ ー ト で 尾 行 せ り 末 黒 野 の あ る じ な き 窯 に オ リ ベ 死 ぬ |
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2007-03-01-THU
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