クマちゃんからの便り

太刀魚の味

去年の暮に房総の海で釣りをしたのが最後に
釣りの予定は、週末に暴れだす低気圧で
ことごとく中止になってしまう。

安定しない週末気象の合間、平日に予定してみると
連れどもが忙しいとやらで、
今度は車の都合がつかないのである。
<忙しい>なぞとは格好の悪い様だわい。

去年の十一月、三宅島で
五〇kgのカンパチを仕留めてからというものは、
<海>との折り合いがどうもうまくいかないのである。
海の主との格闘で
ツキを使い果たしてしまったのだろうか。

こうなりゃ、<引きこもりセット>を
やり過ごす日々が多くなるのだが、
海を見ないにも限界がある。
そろそろとばかりに太刀魚釣りの仕掛けを作ってみた。
活きたセグロイワシを泳がせる仕掛けである。
手慰みが、飽和状態だった頭蓋には
かえって呼び水になり、クルクルパーになっちまった。

残り少ない知人に無理を言って、
オレを内房の金谷港まで運んで貰うことにした。
明け方の空は穏やかで海も凪いだ暗黒だった。
外れの船着き場に、四人も乗ればいっぱいの
小さな漁船が繋がれていた。
老船長の夫婦の金谷弁は<カンジロウ丸>も
<ハンジュウロウ丸>の判別がつかない。
温かい。

千葉の金谷から東京湾を突っ切り、
漁場の観音崎沖は狭くなっている入口。
神奈川県に所属する。
振り向くと金谷は小さな漁村だ。
湾の真ん中辺りは大きな船も行き交い波が立ち、
舳先のオレは早くもずぶ濡れ。
スキンヘッドに近づいている低気圧の冷たさを感じる。
それでも海はいいなぁ。

スピーカーも着いてない小さな漁船の老船長が叫ぶ。
何言ってんだか分からないが、
切れ切れの音声を集めると

<海底まで八〇メートル。
 七十三メートルから十メートル程までを
 探ってみてくんろ>

みたいなことを言ってるはずだ。

セグロイワシを刺した手製の一本鉤仕掛けで、
狡猾な太刀魚をゆっくり誘う。
来た来た来た。
銀の魚体を光らせてイワシの尻尾をくわえてるナ。
まだ合わせない。
胴体までが太刀魚の口の中だ。

一瞬誘いを止めまた超低速で聴く。
餌に逃げられると思ったか慌ててガツガツ喰い出す。
海の中が、ラインに触れた指先で見えるようだった。
また激しく喰い始めた。
次の食い込みで聴き合わせる。
掛かったゾ。

「ヨセヤイ!」慌てる太刀魚の悲鳴が手に伝わってきた。
相当大きい。
初めての釣りだがなかなかエキサイティングである。
海から一気に引き抜くと、
指五本サイズの銀色の青竜刀が
宙を切りながらオレの足元でのたうつ。

イメージを掴めばこっちのモノで、
午(ひる)まで大型サイズばかりを十五本揚げた。
帰港途中もう低気圧は近づいていて、
明日はもう漁には出られないという。
久々だったがつかの間の海を堪能した。
さっそく波止場から、魚好きの呑み友達の
南シンボーにお裾分けを贈った。
オレは磨いだ出刃でメタリックな魚体をさばき
小骨も外して刺身で喰う。

あの獰猛で狡猾な太刀魚の脂がのった身は
ショーユを蹴散らかす。
顔からは想像がつかないほど上品な肉の味だ。

オレは熊野の<なれずし>や
滋賀の<ふなずし>が好きだ。
ぬか漬けの古い、豊穣に向って醗酵するモノに惹かれる。
刺身はほとんど喰わないのだが、
脂がのった太刀魚の刺身は海の儚い味がする。

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2007-03-14-WED
KUMA
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