田んぼの秩序
この夏のクソ暑さは不穏だった。
山岳のFactoryも例年にない暑さだった。
シャッター内の日陰で、パンツ一丁になり
数件のプレゼンテーションを思案したり、
ミニチュアを作っていた。
エントロピー増大へ向かう不穏な無秩序な夏を、
己の身をもって生体実験をしていたのだ。
(こりゃ負け惜しみだな‥‥)
積み重ねたプレゼンテーションの制作プランに、
変更や修正がはいり決定するまでは時間がかかり、
挙げ句のはてにあっさりとキャンセルになることも
しばしばである。
二年後のプロジェクトの最終プランを描くために
現場を見に行く。
<水>がテーマだ。
水や本、握り飯などを入れたデイパックを背負い、
チャリで巡る農道が最近の散歩コース。
天気の良い日の農道ばたで気ままに横たわる。
高齢化したこの地域の徘徊老人でさえ、
こんなゴージャスな休息はしない。
ほとんどの稲刈りは終わっているが、
まだ農道の両脇に濃い黄色が揺らぎ、
遠景の甲斐駒に暗黒の雲が渦巻いていた。
オレは稲穂の揺らぎを、
次々に伝わって大きな黄色い渦になっていく景色に
<カラスのいる麦畑>を重ねていた。
自殺直前に<カラスのいる麦畑>を描いたゴッホも、
こんな揺らぎを見たのかもしれない。
あの絵の直線的に折り重なる激しいタッチ。
観る者の目は途切れ途切れになって画面を彷徨う。
それぞれ高さの違う視点からの
黒いカラスの群れだけが自在に拡がっているのだが、
大地や大空と解け合わず
不穏な地平線の彼方を暗示している。
エントロピー増大に逆らって、
局所的に作る小さな秩序は、
無視できるような小さな影響しか持たないのだろうが、
その隣の粒子に影響を与え、
次々と連鎖的に影響が伝わって
新しい秩序を生み出すことがあるってな妄想の昼寝。
ばたに転がったスキンヘッドを撃ったのは天水の一滴。
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