最後の殺生
山奥で銅板に刻みつけることを始めたせいか、
今年は海に出る機会があまり無かった。
トレシングペーパーで和らげたスタンドの光で、
エッチングの細かい線を刻み
あまりにも眼を酷使した一年だった。
久しぶりに海原の遙かな水平線に目を漂わせ、
視覚を少し取り返さなくちゃな。
竿納めのヒラメ釣りに出掛けた。
房総の大原港。
低気圧の大シケ、寒ビラメ釣りの特有の気候のなか出港。
海底の砂まで巻き上げる底荒れ状態らしい。
寒いは、うねるはで、大半の釣り人は船酔い、
嘔吐で釣りにならない。
船酔いのないオレも釣果も芳しくないまま終了。
大うねりの水平線では眼を休めるどころではなかった。
酷い船酔いのなかで、
釣り上げた1kgちょっとの
薄っぺらいヒラメ一枚を家族に持ち帰る
涙ぐましいヒト等を見送り、
カーペン君ともう一日海に出ることにした。
天はオレ等に味方して、
予報の大嵐は見事に外れた<ヒラメ日より>。
オレは余裕で眼を水平線に漂わせながら、
年明け早々からのアイデアを夢想。
ヒラメ4、5枚の他、
マトウダイ、ホウボウ等のお土産も2、3枚の
イイ釣果だった。
甲板でバタバタ騒ぐヒラメの鰓ぶたを返し、
血抜きの出刃を脊椎に突き立てた。
血を吹き出すヒラメと眼が合った。
トドメの一押し。
猫の目みたいなヒラメが大人しくなった。
『オマエを昆布〆で美味く喰うためだ、許せよ』
ヒラメが最後に視たのはオレの眼玉だったか。
今年最後の殺生だ。
オレはべっ甲色になった<昆布〆>の
美しい半透明を眼でなぞる。
利尻昆布とフランスはゲラント岩塩で締めた
房総ヒラメの白身は奇跡の味だ。
眼という器官の<視覚>は
解像力という脳とセットなのだ。
でなきゃ、単なるゴミ箱のフシ穴でしかないのだろう。
来年は物凄い量の銅板に刻み込む。
<視力>も<筋力>も衰えぬうちに。 |