七草がゆ
「セリ、スズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、
スズナ、スズシロ」
思いだしながら、まな板の七草を
包丁で叩いて拍子を取り刻む。
特にケジメもないまま元旦も過ぎて、
エッチング部屋と寝床を往復して今日は七日になっていた。
快晴の林を散策。積もったアカマツの針葉を蹴散らすと、
タンポポの黄緑の葉が地面に張りついていた。
こんな色を見つけたコトでも何だか嬉しい。
久しぶりに村のスーパーまで下ると、
店頭で<七草がゆセット5人前>二九八円也。
銅を腐食する硝酸で
すっかり荒れちまった指で研ぐ一合の武川村米を、
土鍋でゆっくりと粥に炊きあげた。
ゲラントの塩で味を仕上げ七草をいれた。
七つの草がどんな意味を持つのは正式なことは知らないが、
冬を破り春へ向かう<植物の力>にあやかろうという
呪いに違いない。
出雲大社の御札を奉ったFACTORYの神棚へ供え、
新春をことほぎ二礼二拍手一礼。揺らいだ燈明の炎が、
痙攣するヒカリの肉に見えた。
春をことほぐロウソクの火が、
唐突だったが未だ生きているような肉の色。
高校時代に美術教師から借りて、
夢中で視たスーチンの画集。
ほとんど死んだように動くモノのない冬の山岳地帯で、
何度も眺めていた<口腔>写真の専門書。
揺らぐ燈明で、
美人歯医者さんにお願いして借りたこの図版群が、
遠い記憶のスーチン肉の色に繋がったのだ。
春の植物群と、言葉を吐きメシを喰らう部位とが、
何の脈絡も無く神棚で出会ったというだけだ。
「知識では決して把握できない根源的な生々しさ」か。
2008年も始まって一週間が過ぎた。
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