[ゆら水]完成
(甲斐駒登はん記)
七月一五日午前一時、
大枚一万円也の筋肉負荷下着に、
オレは自分の下肢を押し込みはじめた。
登山なぞ初めてのことだ。
完全装着し終わったときは、
筋肉も気も引き締まり
マッキンリーだって不可能ではなかった。
甲斐駒嶽神社に三時半、今橋宮司から鉢巻きと白装束、
鐘をいただき御祓いを受ける。
四時三五分、宮司とサポーター等と
神社裏の登山道から登りはじめた。
筋肉負荷下着のせいかオレは、
足首に翼が生えたアキレスみたいに軽く登っていた。
四月一日から制作開始した[ゆら水]は、
三〇〇トンのコンクリートでつくった三次曲面で、
力強い稜線の甲斐駒嶽を鋳込むというモニュメントだ。
そして八割方仕上がった[ゆら水]から
七月一六日の早朝、甲斐駒山頂めがけてマコトやユイ、
ユカリ、ヤス等にヒカリ放ってもらう。
そして頂上に辿り着いたオレが、
本社に草鞋と自分で炊いた十六穀ご飯の握り飯と一緒に、
そのヒカリを奉納するのが登山目的である。
軽快だった一合目も中頃からオレの身体に
異変が始まった。
下半身に感じる得体の知れない重みは、
日常的な平地ではないせいだろうと思った。
七時一〇分、何とか喘ぎながら
二合目の〈水飲み場〉に到着した。
それぞれ朝食を摂るがオレには食欲がない。
岩清水を馬みたいに飲んで出発だ。
やっぱりイカンぞ。
それでも〈横手・竹宇分岐点〉1450M。
戻るか、進むかの分かれ道だ。
進むを選択。すでにビショビショになった
筋肉負荷下着の下半身は、
オレの身体とは思えなくなっている。
オレはやっぱりアキレスなどではなく、
五分も登らないうちに立ち止まるようになった。
すぐ前を行く今橋宮司が、
九字護身法を切っては励ましてくれるのだが、
それも効かないほど脚がしびれて、
ついに地面に倒れた。
痙った二頭筋に「エイ」、また九字を切る。
「そんな下着を脱げ、お前には似合わない」
頭蓋の何処かに男でも女でもない優しい声がしたのは、
気付きだったのか、
皮をめくるように張りついた負荷下着を剥がしてた。
血が巡りだしいつもの自分が戻ってくるようだ。
サイズが合わなかったのだ。
『もう大丈夫だ』。
一五七〇m〈黒龍神〉。
宮司と一緒に般若心経を読経、
ここまで引き上げてくれた事への感謝と
頂上への導きを祈願する彼の言葉が殊更に染みた。
オレは別人になったようだが、最初のダメージは大きい。
一九一〇m胸突き八丁の〈摩利支天〉。
昼食だがオレに食欲戻らず。
一九七〇m〈刃渡り〉。
二〇四〇m〈刀利天狗〉。
もうオレであってオレではなく
何んの言葉も喋りたくない。
霊山だから奉られた神様がいっぱいで、
その都度に米、塩とお経をあげていく。
〈前屏風岩〉二一〇〇m。もうヨレヨレだ。
すでに予定時間は大きく遅れ十六時十五分〈後屏風〉。
七合目の〈七丈小屋〉に着いたのは
出発から十三時間かかった午後五時三十分だ。
普段絶対に口にしないカップヌードルの夕飯。
八時過ぎに消灯、寝静まる。
十二時に眼を覚ますと暗闇にオトコ等の寝息の輪唱だ。
三時まだ暗いうちに出発だ。
四時三十六分、東の夜空が裂けて
たちまち燃えるような日の出だ。
この瞬間、オレはまだ地動説を信じた。
富士山も北岳もクッキリ眼下の甲府も
武川の粒々の屋根屋根もだ。
「こんな天気は私も初めてです。
十年に一度あるかどうか」
宮司の目にも御来光が映っていた。
「奇跡だ」
二六六〇mの天空で見渡している蒼空の果てと、
繋ぎ目なしでひと続きになっている自分を実感していた。
七時四〇分、二九六七m。
〈頂上本社〉にお礼のお参り。
握り飯と草履を奉納すると、
大武川と釜無川が黄金の龍のように輝きだした。
八時一五分、合流点が龍の眼のように
ピカピカ光り出すではないか。
人影までは見えないが、
懸命に大鏡を支える若い衆等が居る筈だ。
オレを掠めたヒカリが社に命中し、
馬頭観音の顔が微笑んだ。
ついに[ゆら水]の完成である。
[山日朝刊]に寄せたエッセイより
▲4月1日より制作が始まった
[ゆら水]は8月14日、完成しました。
250トンのコンクリートと、
4トンの鉄をつかったモニュメントです。
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