クマちゃんからの便り

ミワノカカ

朝11時ホテル発予定。
のんびり本を読んだり、針孔写真機でヒカリの収集。
ベナン語で覚えた言葉は、
<ありがとう>の「MIYANOkAkA」。
公用語はフランス語だが、
オレのような黄色人間の口から出るのは
「メルシー」より「MIYANOkAkA」の方が、
BENINの大人も子どもも真っ白い歯が大いに笑うのである。

Cotonueは大西洋に面して水分が多いためか
いつも空にはトレシングペーパーがかかっている。
ホテルのソフィスティケートされた朝食は
今日が最後だろう。
クロワッサンとコーヒー、ヨーグルト。
ヘルシーだぜい。
これからはネイティブに向かっていく。

まずは土で煉瓦を造っているヒト等がいる
集落へ往ってみることにした。
北西に向かうがこれまた往けども両脇はジャングル。
二時間走ってやっとちょっと開けた草間。
数人の男等がテコ棒にブル下がっては
戯れているように見えた。
まさに煉瓦作りの最中だった。
体脂肪ゼロの黒光りした美しい身体のオトコたち。
鉄板で作った平たいトコロテン機に、
少々のセメントをブレンドした土を詰め、
蓋をテコ棒で締める。
そうだ、押し寿司、バッテラ方式だ。
聞けば彼等は二十三から二十五歳。
朝七時から1000個作り出すという。

<水>のテーマの素材探しは、
探しながら考えをまとめていく旅だ。
テレビ番組だから大まかな台本はいるのだろうけど、
現実を前にして説明過剰な繋がりにこだわりすぎて、
制作者の脳ミソが不自由になっては本末転倒ってモンだ。
いくら繋がりだからといってそっちこちに
ブードゥ教の聖なる教壇がある集落では、
ジャパン国内みたいにズカズカと許可なく
カメラを回せないのは当然だし、
隠し撮りしてまでこだわるのはキマジメ過ぎる。

そんな奥地であらかじめ撮影許可証などある筈もなく、
その都度、ゾマホンは長老に挨拶し
話しをつけてからの撮影である。
またCotonueに戻る。
<日本大使館開設祝い>でゾマホンには大切なパーティへ。
終わるのを待って夕方八時、
ノートやボールペンなどを積み込んだ
所ジョージ寄贈のスクールバスと共に
四駆は真っ暗な街道を北へひた走る。

いよいよ<たけし小学校>へ向かった。
スクールバスはアメ車の大型バンだから、
ガソリンも高いこの国では走る距離に気を遣う。
しかし途中の凸凹道も、
生まれて来るなり<三半規管>さえ失っているオレには、
まるで揺りカゴだ。
ウトウトしているうちに通過していた。
日付も替わって車中で30日、午前二時半。
やっと半分の行程。
修道院の食堂で遅い晩メシというか、
早すぎる朝メシというか。
やさしそうな女修道士がご飯を作って待っていた。
<MIWANOkAkA>の他に<さよなら><おはよう>
<EYODEBAI>など教わる。

すぐそばにあるまだ造りかけのホテルに。
オレの部屋のドアには[AMOUR]。
<愛の間>ってワケか。
ゾマホンのは<希望の間>。
二時間休んで朝六時半出発。
ますます過酷になってきた。
ADのチローは盛大に反吐を吐くし、
デレクターのキマジメは下痢だ。
やっぱりストレスが原因だから
台本に囚われずにいくことだ。
今日からディレクターは<直線パパ>、
ADは<ピンキー・ゲロッパ>に改名。

炎天街道を北上して3時間。
やっと[たけし小学校]着だ。
赤土の小さな旋風が舞う広大な敷地にマンゴウの樹が所々。
古いイタリア映画のワンシーを思い出す。
切なくていいなぁ。

丁度、給食の時間になるところだった。
北野武巨匠が考案した、彼等に昼メシをおごる制度は
ベストアイデアである。
ゼニだけを出して顔が見えない無責任なモノとは違うのだ。

所ジョージさんから預かったノートとボールペンを、
オレとゾマホンで一人一人に手渡していく。
大喜びの白い歯と大きな目。
ちょっと疲れが和らぐ。
SABIがいた。
目が大きくて可愛いのに口を固く閉じて笑わない
ちょっと人見知りの少年だ。
心に深い傷でもあるのか。
元気出せ、小僧。

夕方からいよいよ[水]をテーマの土のゲージツだ。
この短い期間ではなかなか分からない。
しかし大きな街から離れた集落で暮らすヒト等には
[水]が一番の問題なのは
オレにもひしひしと伝わってくる。
この世に来て間もなく別の世へ直行する
タッチアンドゴーの赤ん坊。
オレの大好きなプリミティブ世界はいとおしくも切ない。
しかし北半球から来て
胸を詰まらせている場合ではないぞKUMA。
だから、それでも、やっぱり子ども等は
「学ぶ」ことを続けるんだ。
そしてみんなが自分の脳ミソで
自分の生きている役割を考えるんだ。
寝ずの大移動にオレもちょっとバテてきたかな。

さぁて、涼しくなったら、
[たけし小学校]校庭のマンゴーの樹の下で、
オレも何かを始める時がきた。
明かりひとつない完全闇夜で薪を焚いて
作業を始めたのが失敗だった。
何の出来事もなく続く赤土の日々に
色白の大男が来ただけで一大事だ。
子ども等がわんさか湧いてきてさあ大変。
そのうえに焚き火が燃え上がったから
彼等のタマシイにも火がついてしまったのだ。
これじゃぁ、シゴトにならんわい。
ゲージツの開始部分は、
彼等がまだ起きてこない明早朝から
始めるコトにして退散した。

どこからが4月1日になったのか、
もうオレにはカレンダーも時計もない。
<アフリカ>大地のイメージは、
北部のこの辺りの彩度よりも濃い赤だ。
ゾマホンがオレの意図をくんで
南部のCotonueの土と煉瓦職人をここまで呼んで、
校庭の隅ですでに煉瓦を500個造り始めていたのだ。
やがて雨や風で風化して
[土]にもどっていくジカンのゲージツだから、
土にセメントは一切入れないのがオレの煉瓦だ。
とにかく、アフリカの<土>と<子ども等>と、
取り巻く<大人等>も挙って
[水]のイメージに取り組むのだ。
そして自分らの力でポンプを作り自分らの力で
衛生を意識し、医療も勉強するようになることを念じる。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2010-04-09-FRI
KUMA
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