書くことの尽きない仲間たち 車で気仙沼まで行く。東京~福島~宮城 2018車 - ほぼ日刊イトイ新聞
古賀史健
2018.03.09

ありのままの3月11日を。

よくもわるくも、人の記憶は書き換えられていくものです。
忘却という名の書き換えもあれば、
美化や正当化と呼ぶべき記憶の改ざんもある。
2011年の3月11日を思い出そうとすると、
過度に演出のほどこされた「あの日」を語り、
筆圧をつよく、書こうとする自分がいます。
よりドラマチックに、やたらと深刻ぶって、
高潔で、冷静沈着な好人物として、
「あの日のぼく」を組み立てようとする自分がいます。

ご挨拶が遅れました。ライターの古賀史健です。
ほぼ日の永田さんからお誘いを受け、
今回の旅に参加させていただくことになりました。
出発にあたっての自己紹介を兼ねて書くのは、
「あの日、あのとき、ぼくはどこで、なにをしていたか」。
とても、とても、むずかしい話です。
むずかしさの理由はやはり、
ありのままをありのままにお前は書けるのか、でしょう。
書きあぐねているうちになぜか、
フランツ・カフカの短編『変身』を思い出しました。

ある朝、自宅ベッドで目を覚ましたグレゴール・ザムザは、
自分が巨大な毒虫に変身していることに気づきます。
意味がわからない。思うように身体が動かない。
ここから先のザムザの行動は、
不可解にして、きわめてリアルです。
彼は、寝返りの打てない(ムカデめいた)身体を嘆き、
睡眠もまともにとれない仕事の忙しさに毒づき、
いつの日か社長に直談判してやるんだと鼻息を荒くし、
ふいに目覚まし時計を見て、
寝坊してしまった自分に慌てふためきます。
また社長に雷を食らうと絶望します。
勤め人のザムザにとっては、
自分が毒虫に成り果てたことよりも、
遅刻して社長に怒られることのほうが一大事だったのです。

2011年3月11日、ぼくは原稿を書いていました。
場所は都内の自宅近くに借りたワンルームマンション。
フリーランスだった当時の、書庫兼仕事場です。
やたら調べものの多い本の締切に追われていたぼくは、
前日から泊まり込み、徹夜で原稿を書いていました。
ツイッターの投稿をさかのぼってみると、
その日は早朝から近隣マンションの火災警報器が壊れ、
4時間以上も鳴り響いていたようです。
イライラしていたぼくは午前中、まるで拷問のようだと、
いま思えばのんきな愚痴をツイートしています。

そして午後2時46分。
当時あれほど横揺れと縦揺れの違いを語っていたのに、
いまではどんな順番でそれが襲ってきたのか、
うまく思い出すことができません。
ただ、過去に感じたことのない種類の揺れであったこと、
すぐさま立ち上がって横にある本棚を両手で押さえたこと、
背後の本棚から何十冊もの本が飛び出してきたこと、
そして軌道の長い揺れがかなりの長時間、続いたこと。
たぶん、それだけはたしかな記憶です。

最初のおおきな揺れがおさまり、
船酔いのようなぐらぐらに襲われながらぼくは、
ひたすら怒っていました。
焦り、苛立ち、憤慨していました。
「こんなの、仕事にならないじゃないか!」
部屋中に散乱した本から片づけるべきか。
それとも、机の上だけ整理して原稿に戻るべきか。
ただでさえ締切が迫り、徹夜が続いています。
思考の球はピンボールのように飛び跳ね、
ひとところにとどまって考えることを許してくれません。

そして不安と怒り、苛立ちが頂点に達したとき、
妻から電話がかかってきました。
苛立つぼくは、安否の確認もそこそこに、
本棚がどうした締切がどうしたと、ぼやきはじめます。
すると彼女は、切迫した声で言いました。
「『そんなこと』はいいから、早く帰ってきて!」
あきれたことにぼくは、ここでようやく目が覚めたのです。
自分以外の人がいることに、気づいたのです。

あわてて帰宅し、テレビをつけると、
そこには見たこともない光景が広がっていました。
いまなにが起きているのか、
これからなにが起ころうとしているのか、
おぼろげながら理解しはじめました。
自分という人間が、恥ずかしくなってきました。

カフカなんかを差し挟んだのは、ぼくの逃げです。
あの日、あのときのぼくは、東北の方々はおろか、
家族の安否にさえ思いが至らず、
抱えている仕事のことで頭がいっぱいでした。
つまりは自分のことだけを考え、
他者への想像力が、ものの見事に欠落していました。
きっと「ほんとうのおれ」というやつは、
ワンルームマンションでひとり憤慨していた、
自分のことしか頭にない、狭量なあの男なのだ。
その事実はずっと、心の奥に残っています。

・・・・ああ、結局なんだか、
深刻ぶったトーンになっちゃうんだよなあ。
この「語りにくさ」と向き合うことがきっと、
震災と向き合うことであり、自分と向き合うことであり、
自分になにができるのかを考えることなのでしょう。
書いてみてこの7年間、
震災を正面からことばにしてこなかった自分、
のらりくらりとそれを避け続けてきた自分に、
いまさらちょっとがっかりしています。
もしかすると今回、この旅への参加を決めたのは、
「いまだったら、ありのままを書けるはず」
との思いが芽生えたからなのかもしれません。

今回の旅では「ありのまま」の自分と、
その目に映る東北の景色を、人や空や味や空気を、
なるべくかるい筆圧のまま、書きつづっていくつもりです。
きっとたのしく、忘れられない旅になるでしょう。
それでは、行ってきます。

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