ありのままの3月11日を。
よくもわるくも、人の記憶は書き換えられていくものです。
忘却という名の書き換えもあれば、
美化や正当化と呼ぶべき記憶の改ざんもある。
2011年の3月11日を思い出そうとすると、
過度に演出のほどこされた「あの日」を語り、
筆圧をつよく、書こうとする自分がいます。
よりドラマチックに、やたらと深刻ぶって、
高潔で、冷静沈着な好人物として、
「あの日のぼく」を組み立てようとする自分がいます。
ご挨拶が遅れました。ライターの古賀史健です。
ほぼ日の永田さんからお誘いを受け、
今回の旅に参加させていただくことになりました。
出発にあたっての自己紹介を兼ねて書くのは、
「あの日、あのとき、ぼくはどこで、なにをしていたか」。
とても、とても、むずかしい話です。
むずかしさの理由はやはり、
ありのままをありのままにお前は書けるのか、でしょう。
書きあぐねているうちになぜか、
フランツ・カフカの短編『変身』を思い出しました。
ある朝、自宅ベッドで目を覚ましたグレゴール・ザムザは、
自分が巨大な毒虫に変身していることに気づきます。
意味がわからない。思うように身体が動かない。
ここから先のザムザの行動は、
不可解にして、きわめてリアルです。
彼は、寝返りの打てない(ムカデめいた)身体を嘆き、
睡眠もまともにとれない仕事の忙しさに毒づき、
いつの日か社長に直談判してやるんだと鼻息を荒くし、
ふいに目覚まし時計を見て、
寝坊してしまった自分に慌てふためきます。
また社長に雷を食らうと絶望します。
勤め人のザムザにとっては、
自分が毒虫に成り果てたことよりも、
遅刻して社長に怒られることのほうが一大事だったのです。
2011年3月11日、ぼくは原稿を書いていました。
場所は都内の自宅近くに借りたワンルームマンション。
フリーランスだった当時の、書庫兼仕事場です。
やたら調べものの多い本の締切に追われていたぼくは、
前日から泊まり込み、徹夜で原稿を書いていました。
ツイッターの投稿をさかのぼってみると、
その日は早朝から近隣マンションの火災警報器が壊れ、
4時間以上も鳴り響いていたようです。
イライラしていたぼくは午前中、まるで拷問のようだと、
いま思えばのんきな愚痴をツイートしています。
そして午後2時46分。
当時あれほど横揺れと縦揺れの違いを語っていたのに、
いまではどんな順番でそれが襲ってきたのか、
うまく思い出すことができません。
ただ、過去に感じたことのない種類の揺れであったこと、
すぐさま立ち上がって横にある本棚を両手で押さえたこと、
背後の本棚から何十冊もの本が飛び出してきたこと、
そして軌道の長い揺れがかなりの長時間、続いたこと。
たぶん、それだけはたしかな記憶です。
最初のおおきな揺れがおさまり、
船酔いのようなぐらぐらに襲われながらぼくは、
ひたすら怒っていました。
焦り、苛立ち、憤慨していました。
「こんなの、仕事にならないじゃないか!」
部屋中に散乱した本から片づけるべきか。
それとも、机の上だけ整理して原稿に戻るべきか。
ただでさえ締切が迫り、徹夜が続いています。
思考の球はピンボールのように飛び跳ね、
ひとところにとどまって考えることを許してくれません。
そして不安と怒り、苛立ちが頂点に達したとき、
妻から電話がかかってきました。
苛立つぼくは、安否の確認もそこそこに、
本棚がどうした締切がどうしたと、ぼやきはじめます。
すると彼女は、切迫した声で言いました。
「『そんなこと』はいいから、早く帰ってきて!」
あきれたことにぼくは、ここでようやく目が覚めたのです。
自分以外の人がいることに、気づいたのです。
あわてて帰宅し、テレビをつけると、
そこには見たこともない光景が広がっていました。
いまなにが起きているのか、
これからなにが起ころうとしているのか、
おぼろげながら理解しはじめました。
自分という人間が、恥ずかしくなってきました。
カフカなんかを差し挟んだのは、ぼくの逃げです。
あの日、あのときのぼくは、東北の方々はおろか、
家族の安否にさえ思いが至らず、
抱えている仕事のことで頭がいっぱいでした。
つまりは自分のことだけを考え、
他者への想像力が、ものの見事に欠落していました。
きっと「ほんとうのおれ」というやつは、
ワンルームマンションでひとり憤慨していた、
自分のことしか頭にない、狭量なあの男なのだ。
その事実はずっと、心の奥に残っています。
・・・・ああ、結局なんだか、
深刻ぶったトーンになっちゃうんだよなあ。
この「語りにくさ」と向き合うことがきっと、
震災と向き合うことであり、自分と向き合うことであり、
自分になにができるのかを考えることなのでしょう。
書いてみてこの7年間、
震災を正面からことばにしてこなかった自分、
のらりくらりとそれを避け続けてきた自分に、
いまさらちょっとがっかりしています。
もしかすると今回、この旅への参加を決めたのは、
「いまだったら、ありのままを書けるはず」
との思いが芽生えたからなのかもしれません。
今回の旅では「ありのまま」の自分と、
その目に映る東北の景色を、人や空や味や空気を、
なるべくかるい筆圧のまま、書きつづっていくつもりです。
きっとたのしく、忘れられない旅になるでしょう。
それでは、行ってきます。