■「久世塾おぼゑがき」40号
原作者と脚本家
ちょっと前にここで
ジョン・アーヴィングのことを書きましたが、
あのあとたくさんのアーヴィング好きから
“私も好きですメール”をいただきました。
中にはかなりマニアックなファンもいて、
アーヴィング歴12年の僕なんか
「ふんっ、まだまだだな」ってな感じで
軽〜くあしらわれました。
それにしても隠れ(でもないけど)
アーヴィング・ファンがこんなにいたなんて…。
ところで彼は本来小説家でありますが、
今回は自作の「サイダーハウス・ルール」の
映画の脚本を担当しています。
作家の中には、自作が映画やドラマなどに
映像化される場合にうるさく口出しする人と、
まったくおまかせという人と、
二通りの人種がいるとのこと。
どちらかといえば少数ですが、
今回のアーヴィングのように原作者が映画化の際に
その脚本も手掛けるというケースもままあります。
しかし多くの場合、
自作に対する思い入れが強すぎるのか、
あまり思わしい結果にはなっていないようです。
「サイダーハウス〜」は
そうなっていないことを祈りますが……。
ところで昔から「原作を越える映画(ドラマ)はない」
なんていう‘定説’がありますが、
これは「続編に傑作なし」というのと
同じくらい信憑性のない法則。
『裏窓』や『ショーシャンクの空に』、
それに『マディソン郡の橋』なんかは
完全に原作を越えていたし、
『ゴッドファーザー』や『エイリアン』はもとより、
『スターウォーズ』も一作目より『帝国の逆襲』の方が
断然良かった!(これは異論が出そうですが……)
確かに時間制限のある映像作品では
ある程度の「はしょり」は必要ですし、
原作を読んだすべての人が
納得するキャスティングなんていうのは不可能でしょう。
ですので観客の立場に立てば
「あのシーンがカットされていた」だの
「あの俳優はイメージが違う」なんていう文句も
言ってみたくなる気持ちも分かりますが、
しかし本来小説と映画(ドラマ)は別物。
逆に原作とまったく同じモノを作るのでは、
わざわざ映像化する意味がないと思います。
原作のテイストを保ったまま、
いかに違った展開や
意外な結末を導き出すことができるか。
それが脚色の醍醐味なんじゃないでしょうか。
我らが久世塾長も多数の著作を出されていますが、
もし映像化される場合には
やっぱりご自身で脚本を書かれるのでしょうか?
その場合は演出も……。
う〜ん、これで主演もしたら
まさにスタローン=ロッキー状態(失礼!)。
そういえば今夏公開の話題作「ホワイトアウト」は
原作者の真保裕一氏が自ら脚本を手掛けるとのこと。
原作のファンとして、
楽しみでもあり・心配でもあり…。
それでは。
文責 さとう
★久世塾正式サイトへのアクセスは
http://www.kanox.co.jp/へ。
|