■「久世塾おぼゑがき」64号
夏の終わりに……
「それではこれで、皆さんともお別れです……」
シーンと静まりかえった教室に、久世塾長の、
何ともいえない情感を込めた言葉が響きました。
「さようなら」
こうして第一期『久世塾』本講座は、
静かに幕を閉じました。
思えばここ池袋の教室に、120余名の塾生が集まって、
初めて久世塾長と顔を合わせたのが7月1日。
それから3ヶ月、決して長くはない期間だけど、
すぐに忘れてしまえるほど短くもない。
「全員の名前は覚えられなかったけど、
僕もみんなを抱きしめたいくらいの気持ちです」
実はこの日、紅組担任の奥山先生が、
クラスの塾生を“抱きしめたいくらいカワイイ”
といっていたのを茶化していた久世さんだったのですが、
いざ別れの時となると、嬉しさ半分・寂しさ半分、
ご自分のそんな気持ちを、素直な言葉に変えられました。
9月30日(土)、この日約3ヶ月に渡って開講された
『久世塾』本講座が修了しました。
この日はまず、各クラスに分かれての
締めくくりの授業が行われ、桃組の南川先生、
紅組の奥山先生、紫組の清水先生、
それぞれがこの3ヶ月の講義の総括、
そして後ほど発表される「久世賞」出品作の
総評を行いました。
僕はその間、この後に待っている
「久世賞」授賞式の準備に追われていたのですが、
各教室からは時折大きな拍手が聞こえてきて、
それだけで何となく
「あぁ、もう終わりやねんなぁ……」と、
一人でしみじみしてしまいました。
各クラスの先生方も少なからず
そんな気持ちもあったようで、
皆さん何となく寂しげな顔で控室に戻って来られる。
「終わりましたねぇ……」
「そうですねぇ……」
「どうでしたか?」
「いやぁ、どうもねぇ……」
と、交わされる言葉もどうも湿っぽい。
そんなムードのまま、時間は3時30分になり、
いよいよ「久世賞」発表の時となりました。
この日発表される「久世賞」は、
各担任がそれぞれのクラスから推薦された10編の中から、
久世塾長自らが選んだ最優秀作が栄誉に輝く、
はずだったのですが、選ぶに選びきれず、
落とすに落としきれず、結局は2つの作品が共に
「久世賞」に選ばれました
(厳密には一席と二席に分かれています)。
そして「久世賞」と並行して
選考がすすんでいた「糸井賞」
(こちらも2作品が選出された)の発表も
同時に行われることになりました。
さて、賞状などを持って教室に入ると、
妙に空気が緊張していて心なしか
塾生さんからの視線が痛い。
結果を知っているはずのこちらも緊張してきて、
妙に動きがぎこちなくなる。
「さて、いよいよ久世賞を発表しますが、
その前に僕の方から糸井賞を発表いたします」と、
高野事務局長(この日糸井さんは多忙のため来校できず、
代わりに高野プロデューサーから賞が発表されました)。
「まずは佳作として…………」と、佳作2編と
受賞作2編がそれぞれ発表されました(詳細は次号で)。
続けて久世塾長から、なが〜いコメント入りで
「久世賞」の発表が行われました。
こちらも同じく佳作2編と受賞作2編
(同じく詳細は次号で)。
そして教室には、驚きと失望、
歓喜と落胆が静かに入り乱れ、
やがてすべての賞の発表が終わりました。
「この賞はひとつの通過点でありゴールではない」
という久世塾長。
受賞者たちにも、その作品の良い点よりも、
どちらかというと欠点を指摘するコメントを多く入れられ、
「こうすればもっと良くなったのに」と
あくまでも厳しい塾長の視線で感想を述べられる。
そしてその他の塾生には、
「僕は落選した人の気持ちがよく分かる。
なにしろ直木賞の時に経験済みだからね」と
自らの経験を元に、受賞できなかったことを
ひとつのバネにして、
次につなげていってほしいとアドバイス。
そして「久世賞」の、いや『久世塾』全体の総括を行い、
最後に自ら教室内を歩いてまわって
塾生たちに直接マイクを向けられ、
それぞれの感想に耳を傾けられました。
「ここでの経験を生かして
次のステップにすすむ」という人、
「もっとここで勉強したかった」という人、
そして言葉にならず感極まって泣き出す人。
多くの塾生たちのさまざまな感想を聞き終え、
もう一度久世塾長は教壇に戻って、深い沈黙の後、
「それではこれで、皆さんともお別れです
……さようなら」
と、久世塾生たちに最後の言葉を掛けられ、
教壇を降りられました。
「あぁ、本当に終わったんだな……」
この場面を見て、僕は寂しさと嬉しさが
入り交じったような気持ちで、
『久世塾』に関われて本当によかったと感じました。
それでは。
文責 さとう
★久世塾正式サイトへのアクセスは
http://www.kanox.co.jp/へ。
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