21世紀の
向田邦子をつくろう。

<野望篇>

四大から三大へ

毎週7本ほどビデオをレンタルして映画を観ますが、
20本に1本くらい「当たり」があります。
先日、試写会に行き損なったので借りたのが、
諏訪敦彦(のぶひろ)監督『M/OTHER』。
年に一度の大当たりでした。

骨格だけの台本があって、あとは現場で決めるという
手法を使った作品なのですが、完全に成功してます。
香港映画でそういうのがいくつかありましたが、
僕はこっちが好きです。99年カンヌ受賞作になりました。

ほぼ1シーン1カット。多分1カメラ&1マイク。
カメラが回りっぱなしなので台詞の間が長く、
家庭ビデオを観てるような日常的すぎる感覚で
鑑賞してしまいます。
本番でしか出てこない台詞とかもあったでしょう。
監督と役者のチカラワザで、
圧倒的なパワーの空気感が伝わってきます。

そして、深く考えさせられました。
俳優−演出−脚本の三者関係はどうなるのか、
脚本家、演出家ってそもそも何だろう、と

演劇の四大要素は、戯曲(脚本)・俳優・舞台・観客です。
(『演出のしかた』倉橋健著/晩成書房刊)
強引に言えば、演出(監督)は不要なのです。
一人が脚本・演出するシステムである私の劇団では、
時々ですが「脚本に膨大なト書きを書いておけば
演出は確かに不要だなあ」と自分で思うことすらあります。
実際、上手な役者や照明さんにはほとんど演出しません。
(ト書き=台詞以外の注意書きみたいなものです)

映画に当てはめると、観客は離れた所ですが存在しますし、
舞台はスクリーン、俳優は声優も含めて俳優ですね。
しかし、
『M/OTHER』の脚本は「あらすじ」でしかないのです。
細かい台詞は俳優と監督が決める、というシステム。
大げさに言えば、脚本家という職業を脅かしています。

映画では、脚本・演出が同一人物なのは普通ですが、
連ドラなんかの現場には脚本家が不在なことが多いです。
どっちがどうだという議論ではなくて、これからは
脚本家と演出家がもっともっと一体化していくだろうなと
感じたわけです。
役者がト書きで理解できない台詞の言い回しとかの場合、
演出家より脚本家の方が分かる場合もあると思うんです。

で、ゴム岡本貴也の野望(思いつき)としては、
テレビも脚本家が撮影する時代が来ればいいなあ、
そういうドラマを撮ってみたいなあって。
NHK朝の連ドラが毎日現場で勝手に方向転換していったり、
いっそのこと「全アドリブ生放送」でやっちゃうとか。
大変そうだけど、面白そうじゃないですか?

2000-12-21-THU

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