──
ミンウェイさんの作品のなかに
手のひらサイズに
10ドル札を折りたたんでつくるオブジェが
ありますよね。
ミンウェイ
《マネー・フォー・アート》と言って
「お札の彫刻」みたいなものです。
──
これは、たまたまカフェに居合わせた人に
そのオブジェと
電話番号を交換しようと持ちかけ、
半年後に
「あのときのオブジェって、どうなった?」
と聞いてまわったのが
そもそものはじまりだった、と。
ミンウェイ
何人かは、そのオブジェを紙幣に戻して
使ってしまっており、
何人かはまだ、そのまま持っていました。

お金でつくった彫刻は、
ある人にとっては、依然「お金」であり、
ある人にとっては
「アート作品」だったようです。
──
そこの線引きって‥‥。
ミンウェイ
何なんでしょうね。興味深い問題です。

その後、私は、のべ100人を越えるほどの人に
お札のオブジェを渡しています。
オブジェをお金に戻して使うのも
作品として持っているのも、まったく自由ですが
半年おきくらいに
その人に電話をかけて確認するんです。

お金として使っていなければそれまでだし、
使った人には
どのように使ったか教えてもらっています。
──
たしか、そのオブジェを
いくつも所有しているホームレスの人が
いらっしゃるんですよね?
ミンウェイ
ええ、サンフランシスコに住んでいる男性で、
14個のオブジェを持っています。

私は、サンフランシスコへ行くたびに、
その人を訪ねることにしています。
──
14個! ひとつも使っていないんですか。
ミンウェイ
はい、訪ねて行くたびに彼は
「ちゃんと持ってるよ」と見せてくれます。

ホームレスの友だちにも
「ぼく、アート作品を持ってるんだ」って
見せびらかしているそうです(笑)。
──
オブジェを開いて紙幣に戻せば
「140ドル」になるけど、使ってないんですね。

こう言ったらなんですが
お金が必要な場面だって、あると思うんですが。
ミンウェイ
彼は、絶対に使わないと言ってます。

「ぼくには住む家はないけど
 14点も彫刻作品を持ってるから、豊かだ」
と言って、
手放さずにいてくれるんです。
──
他方で、
あっさり使っちゃう人もいたりするのが
人それぞれで、おもしろいです。
ミンウェイ
そうですね。
──
お聞きしていると、やはり、
ミンウェイさんの展覧会やアートに触れて、
誰かの何かが変化する、
そのことが、とても興味深いです。
ミンウェイ
先ほど、北京の「ソニック・ブロッサム」で
歌ってもらった人が泣き、歌う人も泣き、
周囲の人たちも
ふたりにつられて泣き出しちゃったって話が
ありましたけど、
それ以外でも、北京の人たちって
なぜか、すごく反応がビビッドだったんです。

そこで、
「北京の人というのは、
 どうして、こんなにも感情的なんだろう?」
と、美術館の人に聞いてみたんです。
──
はい。
ミンウェイ
その人の説明は、こうでした。

「この国は、文化大革命のあいだに
 人間同士の信頼感が
 徹底的に破壊されてしまったので
 《ソニック・ブロッサム》のように
 深い親密感を醸し出すような場に出くわすと
 かえって
 感情が噴き出してしまうんじゃないか」と。
──
冒頭で、みんなが「参加」することで
ミンウェイさんの作品が「豊かになっていく」と
おっしゃってましたが
そのようすを見てるのって、どんな感覚ですか?
ミンウェイ
本当に素晴らしく、示唆に富む経験ですね。

生まれた国や育った環境など、
本当にさまざまな背景を持った人たちが
ご自身の思い出や、アイディアや、人生観を、
持ち寄ってくれるんですから。
──
なるほど。
ミンウェイ
それらの要素が加わることで
私の展覧会は
日に日に、豊かなものになっていくんです。

いわば「花」のようなものでしょうか。

初日、展覧会がスタートした時点では
つぼみとは言わないまでも
「花」は、まだまだ「開きかけ」なんです。
──
はい。
ミンウェイ
でも、たくさんのミツバチやちょうちょが
遊びに来てくれて、
蜜を吸ったり、受粉させてくれたりして
だんだん花が開いてゆき、
最終的には
みごとに咲き誇ったところで会期が終わる。

そんなイメージを持っています。
──
そのようなアートへの参加のかたちって
絵や彫刻を見るなど、
ふつうに美術を鑑賞する行為とは
何か、どこかが、ちがうものでしょうか?
ミンウェイ
根本的に言えば、
すべての美術の展覧会に言えることです。

つまり「同じこと」だと思います。
──
それは、なぜですか?
ミンウェイ
私はモネの描いた《睡蓮》が大好きですが
それは、その絵を見ることで
私に台湾の夏を思い起こさせてくれるから。

つまり、モネの《睡蓮》は、
私の子ども時代の思い出に直結しています。
──
はい。
ミンウェイ
作品と「対話」するうちに
この絵のことが好きだなあ‥‥という感情が
沸き起こってくることがありますよね。

こうした体験は
「コミュニケーション」や「対話」というものを
重要な要素としている私の作品にも
共通したものだと思うのです。
──
ミンウェイさんの作品にふれたとき、
素人の失礼さで
「これも、アートって言えるんだろうか?」
と思ったんですが、くわしく知るにつれ、
それが、
「微笑み」や「涙」や「感動」を生むのだと
わかって、それで
「ああ、こういうことを
 アートっていうのかもしれないなあ」
と思うようになりました。
ミンウェイ
ありがとうございます。
──
そして、参加してくれる人に対する
「やってみない? きっとおもしろいよ?」
という、ミンウェイさんの
「いたずら心」みたいなものも感じました。
ミンウェイ
ああ、それは、あるかもしれないですね。
そういう、子どもみたいな部分。
──
ミンウェイさんって、最初から
こういったアートをやっていたんですか?
ミンウェイ
いいえ、ちがいます。

美大ではテキスタイルを専攻していました。
何年も「機織り」をしていたんです。
──
機織り。
ミンウェイ
でも、大学院へ進もうとしたとき
それまで織りためた作品を教授に見せたら
つまらない、
ぜんぜんおもしろくないと言われて。
──
え、そうなんですか。
ミンウェイ
そのときからですね、
現在のような方向性に変わっていったのは。

ある意味では
機織りからだいぶズレてしまったようにも
思えるんですけれど、
自分の作品に
瞑想的な側面を与えたものがあるとすれば
それは、機織りであるはずです。
──
なるほど。
ミンウェイ
布というものは、
「経糸(たていと)と緯糸(よこいと)」から
織られていますよね。

そのことが、
私たちの「人間関係」と同じだなあって、
思うこともあります。
──
話が飛んでしまいますが、
日本に石内都さんという写真家がいて、
広島の原爆の遺品を撮っているんです。

そのなかに、ブラウスやワンピースなど
少なからず「衣服が」あって
それが、とても心に迫ってくるんです。
ミンウェイ
ええ。
──
何だか、石内さんの写真を見ていると
「布」というのは
いつの時代でも、
人間のすぐそばにあったものなんだなあって、
よくわかるんです。
ミンウェイ
いまのお話は、
参加者にほころんだ衣服を持ってきてもらい、
アーティストが繕いながら
参加者とコミュニケーションをとる、という
《プロジェクト・繕(つくろ)う》に通じます。

みなさん、ただほころんでいる衣服ではなく
「ほころびがあっても、
 けっして捨てられない衣服や布製品」を
持ってきてくれるので。

《プロジェクト・繕(つくろ)う》
2009/2014年
机、椅子、糸、布製品
展示風景:「リー・ミンウェイとその関係展」森美術館
撮影:吉次史成
画像提供:森美術館

──
布には、思いや思い出がこもるんですね。
ミンウェイ
いわば「第2の皮膚」だと思います。
──
では最後に、あらためて、
ご自身がやっていることのどんなところが、
おもしろいと思いますか?
ミンウェイ
やはり、何が起こるかわからないところ。
それは、すごくおもしろいです。
──
今日うかがった、どのエピソードも、
ぜんぶ「予想外」ですものね。
ミンウェイ
逆に言えば
あらかじめ何が起こるかわかっていたら、
それほど、つまらないことはない。

そんなことなら、
わざわざ、
作品をつくる必要はないとも思います。
──
ぼくは、ミンウェイさんの作品を知って
「人間っておもしろいな」と思いました。
ミンウェイ
でしょう? それはもう、本当にね。

何より素晴らしく
何より魅力のある存在ですよ、人間って。
<おわります>
2014-11-17-MON

ただいま、リー・ミンウェイさんによる
大規模な展覧会
「リー・ミンウェイとその関係展」が
2015年1月4日まで
六本木ヒルズの森美術館で開催中です。
《ひろがる花園》《石の旅》
《プロジェクト・手紙をつづる》
《プロジェクト・ともに食す》‥‥などなど、
記事に出てくる作品も展示されています。
興味を持たれたら、ぜひ足をお運びください。
それぞれの展示の前で、
「自分だったら、どうするだろう?」って
ちょっと考えてみることが、
作品をいっそう楽しむコツかなと思いました。
もちろん「参加」も、ぜひとも。
「見知らぬ誰かに、ガーベラをあげる」って
日本人には
けっこうハードルが高いかもしれませんが、
勇気を出して「参加」してみたら‥‥
何か「変化」が、起こるかもしれませんよ?

会期 2014年9月20日~2015年1月4日
会場 森美術館

©HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN