つなげる仕事。
クリエイティブはつながらなくちゃ。

第2回 darlingの談話。



『木のいのち木のこころ』を通して、

仕事が人をつないでいく姿を考える、このシリーズ。

スローペースでの紹介を、していこうと考えています。




今日は、darlingがしゃべっていた、

『木のいのち木のこころ』(新潮OH!文庫)を、

なぜ、今、すごくいいと思うか、についてをミニ紹介です。








(※糸井重里の談話です)



木で建物を作ると、何年も経つうちに、

その木々の個性が出てくる、それを見極めて

法隆寺のような木造建築ができていたという話は、

いま読むからこそ、ほんとうになるほどと思うんです。



それに、ぼくらのふだん使っているものが、

なんてつまらなく思えるのだろう、とも感じますよ。

多くのものが、寸法をすべてそろえて作られている。

まったく同じものを配り、同じような使い方を要求し、

同じような時間を過ごすことを前提にしたモノが

大量に生産されて、大量に消費されてゆく。



それって、すごくつまらないものに見えてきたんです。



たしかに、大量生産があるからこそ、

世界の多くの人が飢え死にもしないで暮らしていけている。

大量生産があったからこその現在の文化かもしれない。

だけれども、ともすれば、今は、

「ひとりずつが、固有の生をいきている事実」だとか、

「おおぜい、自分とは違う人がいることのおもしろさ」

というものが、感じにくくなってきているからです。



みんなに同じものを渡すというプレゼンテーションを

しているよりも、作り手としては、法隆寺を作った

大工さんたちのような仕事をしているほうが、

何よりも人間としてイキイキしていると感じるのです。



仕事をして、ぼくたちはその仕事でメシを食う。

でも、毎日同じものを食べているような生活で、

間違いがないようにチェックするだけが

自分の仕事だとしたら、飽きてしまうと思うんです。

仕事場がつまらないとすると、一日のうちのかなりの時間、

8時間労働の人なら8時間、つまらなくなっちゃう。

これは非常に不幸だと思う。



「大事にされないものを作りつづけて、

 人の作ったものを大事にしないで使って捨てて」

ということをくりかえしているよりも、

「アレがなくなっちゃったら、こまるよなぁ」

とみんなに思われるような、

大事にされるものを、作りたくないですか?



たとえば、CDの作品は、カタチ上は

デジタルで大量にモノを届けることになってますけど、

実は、CDというメディアを使って届けるものは、

まるで木の育ち方が癖になって出てくるような、

中身のコンテンツこそが、貴重なわけですよね。



「こんなの、おめえたちも要らないだろうけど、

 大量につくったから配っちゃうぜ」

「オレも要らないけど大量に使うぜ」

という社会に、一見なりそうではあるけれど、

「オレは、このレコード、捨てないでほしい」

と思いながら作られたものが、

「オレ、これ大切。捨てない」と思われるという

精神的なものを軸にしたやりとりになるほうが、

いいなぁ、と、ずっと、前から思っていたんです。



だから、宮大工さんとか、

すごく丁寧な農家の人の言葉が、

今になって、とっても気になっています。

ほんとうにまっとうなことを言ってますから。



いま、農業の視察とかで

いろいろな土地を見てまわっていますけれど、

いいものを作っている人は、いい顔をしているんですよ。

お百姓さんも、悪いものを作っている人は、見事に悪い顔。



宮大工の人の言葉を聞いていると、

「シニカルにならないで、

 仕事も環境も自分も大切にしながらものを作ること」

について、いろいろ考えさせられます。



・・・いま言ったような理由だけじゃなくて、

ほんとはいろんな理由でこの本を好きなんですけど、

いま、ぱっと聞かれると、ぼくは最初は、こんな感じで

『木のいのち木のこころ』を夢中に読んだのかもしれません。



とにかく、

素材や人や仕事を大切にすることのヒントが、

すごくたくさん、つまっていますよね。








(つづきます)

2002-07-16-TUE

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