つなげる仕事。 クリエイティブはつながらなくちゃ。 |
第3回 意志をつなぎ、仕事をつなげる。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ (※『木のいのち木のこころ・地』より) 大きな木を扱っていると 自然に人間も大きくなってくる。 息の長い仕事だからな、 一つ一つを積み重ねていくしかないんだ。 棟梁の鉋のかけ方の教え方は自分で鉋を挽いて、 出て来た鉋屑をくれて「こうやれ」、それだけだ。 それを早くよけいに教えて、 こうやって、ああやって、 こういうふうにして削れっていったら 早いかもしれないけど、それじゃだめなんだ。 教わるほうが何も考えないし、閃きもしない。 別の事態にぶつかったり、 ここでどうしたらいいかっていうときに 何にも出てこないんだ。 教わっただけじゃ、それ以外に一歩も出てこられない。 それじゃ本当の大工にはなれんわな。 棟梁がいっていた。 「煎じて、煎じて、煎じていけば最後は勘だ」 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 『木のいのち木のこころ・地』(新潮OH!文庫) から、小川三夫さんの言葉を、引用いたしました。 ここでの「棟梁」は、第1回で紹介した西岡常一さん。 小川さんは、西岡さんのただひとりの弟子でした。 いまはみずからも弟子をかかえる棟梁です。 木を見つめ、何千年を思う人から、何をどう受け継ぎ、 今、自分も現役でありながら、何をどう伝えているのか。 この過程こそが、 『木のいのち木のこころ』 という3巻本の醍醐味のひとつであり、 この「つなげる仕事」が興味を持つところです。 3代の師匠と弟子たちは すこしずつ考え方は変わるけれども、 確実に何かを受け取りながら仕事をしています。 小川三夫さんによると、 考え方が違うからこそ、仕事がつながるそうなんです。 そこが、この本を読んでいて「そうか!」と思う点でした。 たとえば、この3代の中で最もストイックなのは すでに亡くなられている西岡常一さんです。 いついかなる時にも法隆寺の宮大工棟梁でありつづけ、 家族がごはんを食べられないような状態でさえ、 ほかの仕事には手を出さないことをよしとしました。 それまでの法隆寺棟梁はみなそうしてきたし、 そこまで打ちこむからこそ、 木や古人の仕事に対しての深い洞察を得て、 ほんとうの意味での職人仕事をまっとうできました。 だが、弟子を取ることはほとんどできなかったのです。 理由は……お金が、かせげないから。 西岡さんが弟子入りしたいと言って 門を叩く人を断る姿を見るにつけ、小川さんは、 生計をかせげないのは職業ではない、と思い、 「食えないようなこのままの状態じゃ、 受け継ぎたいと思ったって、受け継ぎようがないんだ」 と考えて、独立を決心したそうなのです。 時代が、ひとつの寺に仕える宮大工を欲していない。 しかし、伝えていきたい技術と伝統は、確かにある。 もしも、生計を立てられないままにしておけば、 誰も継ぐものがいないまま、技術が消え去ってしまう。 時代が変わって、 抱えている問題ややるべきことが変わる。 だからこそ、 「もしも、師匠がここにいたらああするだろう」 ということを、コピーするだけでは済まなくなる。 その事情の上で、技術は受けとりながら、 それぞれの弟子は、師匠とはすこし違う方法での 生き抜く道を探すのだ、というのが、 小川さんの考えだったのです。 師匠と弟子が、イコールではないからこそ 次の代の道が生まれることについて、 小川さんは、次のように語っています。 『木のいのち木のこころ・地』から引用いたしますね。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ (※『木のいのち木のこころ・地』より) 考え方さえしっかり継いでおけば、 西岡棟梁が伝えてくれた伝統は守ることができる。 棟梁のところは法隆寺大工として代々続いて来た店や。 その息子たちが跡を継がず、継いだのはよそから来た俺や。 棟梁は最後の法隆寺大工として これまでの仕事をまっとうすればいい。立派な人や。 俺はそばにいて本当にそう思う。 だけど俺がそのまま引き継ぐことはないんだ。 だから俺は棟梁ができないっていってることを やってやろうと思った。弟子が必要なら弟子を取ろう。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ (つづきます) |
2002-07-17-WED
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