[佐伯]
わたし、外資系にいましたでしょ。
外国の男性って、わたしたちの心理がなかなか通じないんですよ。
「こんなことを社長に言ったら、 気持ちを煩わせるだろうから」
と、気を利かせて伏せておくなんてダメ。
西欧の人は、たいがい、重箱をつつくようにものごとを知りたいから、逐一全部、言わなくちゃいけないんです。



[糸井]
そのとき、チズさんはどうしたんですか?
日本と外国、どっちにどう合わせたんでしょう。

[佐伯]
わりと、闘ったほうです。
あなたは日本人じゃないけど日本人の心を知ってほしい、英語でものを考えないでどういう日本語で捉えているのか言ってください、わかんなかったら通訳入れてください、と。
‥‥だから、結局そのときも一匹オオカミだったんですよ。

[糸井]
つまり、両方から自由だったんですね。

[佐伯]
ええ。
外資系の会社は、規模が大きいために、方針が短期間でどんどん変わっていくということがよくあるんです。
企業というのは、そうしていかないと大きくならないところがありますからね。
だけど、必死で徹夜で考えたものを、次の朝にひっくり返されたら‥‥

[糸井]
ひとこと言いたくなりますね(笑)。

[佐伯]
「わたしたちの時間も、もったいないんですよ!」
ってね(笑)。
ひとりではできないことをやっていかなくてはならないから、わたしたちがいる。
もしもひとりですべてができてしまうのであれば、わたしたちは、その場にいる必要性がなくなってしまうんです、と反論したんです。
外国の方でも、女性の方にそう言われると、ムカッとくるんですね。

[一同]
(笑)

[佐伯]
ダーンと机を叩いて、
「あなたにそんなこと言われることはない〜」
と、言われてしまいました。



[一同]
(笑)

[佐伯]
仕事することは、闘うことだと思うんです。
どんなことだって、自信があれば言えると思います。
自信がないと言われっぱなしですよ。

[糸井]
闘いをちゃんとやりながら自由でいる場所を作ってるんですからね、すごいですよ。
それはやっぱり、人より余計にたくさん考えていないと、ダメですよね。

[佐伯]
だけど、人さまが、ヒントをいっぱい言ってくれますから、いつも、そこを参考にして考えていけばいいんです。
わたしは、いわゆる「肩たたき」で、
「もう仕事ないですよ」と言われたことがあります。
「辞めたくなかったら、 自分の給料を自分で出しなさい」
ということだったので、わかりました、と答えました。
それがヒントなんです。
ですから、自分の給料をどんどん出すことにしたんです。

[糸井]
たしか、急にひとりきりの部署になられたんですよね。

[佐伯]
ええ。
それまで800人以上の部下がいたのに、ある日から、突然ひとりになりました。
だけど、いわれのない理由で会社を辞めることは、絶対、許せなかったんです。

[糸井]
きっと毎日はつらつとなさってたんでしょうね。

[佐伯]
そのときも元気でしたよ、わたし。
「おはようございます」と大きな声であいさつしてましたし、佐伯さんがいるだけで元気になれるってみんなに言ってもらってました。
こうやって元気でやっていって、自分の仕事は自分でやればいいんだ、と考えるようにしました。
‥‥だって、ある日から突然いすのひじ掛けがなくなったんですよ。



[一同]
(笑)

[糸井]
具体的ですね。

[佐伯]
最後の3年間は、窓のない窓際族でした。
電話も自分の家でかけてました。

[糸井]
なんと‥‥。

[佐伯]
何がなんでも60歳までは勤めたいという思いがありましたから。

[糸井]
35歳とかじゃなくて、60歳のときの話なんですよねぇ。

[佐伯]
クリスチャン・ディオールに入ってトレーニングマネージャーになって会社のいろんなところで指導したり建て直しを図ったりしてきました。
更年期障害でホットフラッシュもやりましたし、四十肩、五十肩、六十肩、ぜんぶ経験しました。
そして、いすのひじ掛けがなくなって肩たたきにあい、突発性の難聴になったんです。
それが57歳のころ。

[糸井]
ストレスがかかってたんですね。
いわば、大劇団で1000人を演出していた座長さんが、急にひとりで劇団やれ、しかもマイク一本で、と言われたわけですから。



[佐伯]
そうなんですよ。
劇団ひとりですよね。
「劇団定年ひとり」(笑)

[一同]
(笑)

[糸井]
そのとき、チズさんをいちばん助けてくれたのはいったいなんだったんですか。

[佐伯]
やっぱり、お客さまです。
お客さまが助けてくださったと思います。
それまで自分は、とにかく現場のほうを向いてお客さまを大事にさせていただこうと思ってやっていましたから。
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