[黒柳]
そうそう、この前、歩いてたら、ひとりのおばさんがおまわりさんに
「青山一丁目の方行きたいんですけど」
って聞いていらっしゃったんです。
だけど、おまわりさんは
「知らない」って言ってるの。
気の毒だなぁと思ったから、
「どこへいらっしゃるんですか」
って声をかけてみました。
「外苑です」
「わたしも行きますから、一緒に行きましょう」
って、ふたり並んで歩いたんですよ。
「散歩? 奥さん。わたし80なんですよ」
と、そのおばさんは言うの。
「あらお元気」って言ったら、
「そりゃ、もう歩かないとね」ってどんどん、ちゃっちゃ歩くのよ。
「奥さんもいい御身分ねぇ、散歩なんかして」
って言うから、
「どこ、いらっしゃるんですか」
と聞いてみました。そしたら、神宮外苑のつきあたりにお豆腐屋さんがあって、そこのお豆腐屋さんに聞くと、自分の姉の家がわかるので、そこへ行こうと思ってる、って言うんです。
つきあたりにお豆腐屋さんなんて絶対にないなと思って(笑)、以前いらしたのはいつ頃ですかと聞いたら、
「そうね、25年ぐらい前」
ですって。
あのね、すいません、あそこにはお豆腐屋さんはないと思います、小料理屋さんか何かならあるかもしれないけど、お豆腐屋さんが小料理屋さんになったかもしれないけど、ちょっと、わかんないです、って歩きながら言ったらね、
「そうかしら、もう姉は 電話しても出ないのよ、この頃」
って、そのおばさんは言いました。
そして、ふたりで外苑まで近道しましょう、ってことになって、通った道に、なんとお弁当屋さんがダーッとできてたの。
びっくりしました。
[一同]
(笑)
[黒柳]
知ってます? あそこの通り、お弁当屋さんでいっぱいなのよ。
わたし、知らなくてね。
「あら、お弁当屋さん」って言ったら、
「奥さん、毎日歩いてて知らないのぉ?」
って、その方に言われながら、大通りまで行きました。
だけどそのとき、わたしが変装というか、いつも歩くときそうしてるんですが、ひどい格好だったもんですから、通りには出られなくて、お豆腐屋さんがもとあったところはつきあたりです、ってお教えしました。
するとその方は、
「あ、そう、ここ青山一丁目よね」
「そうです」
「どこかに地下鉄の入り口あるかしら」
「そこにあります」
「どうもありがとう」
って、地下鉄の駅のほうに行ってしまいました。
[糸井]
不思議な‥‥。
[黒柳]
どうってことない、それだけのことなんだけど、そういうふうにね、毎日、毎日けっこうおもしろいことがあるし、何をやってても、つまんないとか退屈することがありません。
みんな、よく
「ぽけっとしてるんです」
って言うけど、そんなにちゃんとぽけっとしてるってことも、ないでしょう。
[糸井]
そうですね。
[黒柳]
考えごとしてるとか、なんかしてると思います。
人間ってやっぱり、哲学者になるわけじゃないけど、ちょっと考えたりすると、いいんじゃないかな。
あんまりジーッと考える必要はないから、歩きながらとか、いいかもしれません。
[糸井]
歩きながら考えるほうが、頭に楽ですね。
‥‥あああ、こんなにまとめて
「徹子」を聞いたのは、はじめてです。
ものすごくうれしいです。
[黒柳]
ほんと? よかった。
[糸井]
しかも全部覚えてらっしゃるし。
[黒柳]
興味があるものはね。
[糸井]
ぼくは、戦後すぐの生まれですから、ヤン坊ニン坊トン坊、ぐらいから黒柳さんのこと、見てました。
[黒柳]
ありがとうございます。憶えてくださっていて、わたしのデビュー作。
[糸井]
ヤン坊ニン坊トン坊、カラスさん、若い季節、わーお、わーお。
[黒柳]
「夢であいましょう」とかね。
[糸井]
全部見てますよ。
黒柳さんって、テレビの歴史そのものみたいで、テレビのどこを触っても黒柳さんがいらっしゃいます。
[黒柳]
55年前にNHKが放送をはじめたとき、NHKのテレビ女優第一号として出ました。
それからずっとテレビに出させていただいて、
「ザ・べストテン」も
「徹子の部屋」にしても自分のやりたいことをやってきて、運がよかったのかもしれないです。
[糸井]
うん、うん。
[黒柳]
テレビ放送50周年16時間のスペシャル番組というのを司会しました。
ご一緒に司会したNHKのベテランアナウンサーの三宅民夫さんが、ちょうどそのとき50歳でね、
「わたし、この方が生まれたときから テレビ出てんだわ」
って思いました。
[糸井]
ほんと、そうですね(笑)。
[黒柳]
ま、そんなこんなで、やってきました。
[糸井]
いくらでも話が聞きたいですけど、もう時間がきたようです。
[黒柳]
わたし、このあと予定があるからダメだけど(笑)、また、よろしければお話させてくださいね。
[糸井]
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