[糸井]
だけどさっき、
まえだまえだ
がしゃべっていたようなことというのは、戦争中であろうが戦争が終わっていようがきっと、おんなじ話ですよね。
[黒柳]
うん、子どもはね。
[糸井]
姿勢がおなじだ、というところだけピックアップしていくと森繁さんが胸を触ることも、野坂さんや渥美さんの姿勢が一貫してるということも、みんな彼らなりに作りあげていった、ということが言えますよね。
[黒柳]
そうだと思います。
[糸井]
ぐらつかないで。
[黒柳]
そう。ほんとにぐらつかなかったです。
一回もね。
森繁さん‥‥セリフも、憶えなかったし。
[糸井]
セリフも?
[黒柳]
ぜんぜん。はじめっから。
セットのね、唐紙とか‥‥フッ(笑)、ついたてとか、そういうところにセリフを書かせるの。
すごいですよ、おっきな字で。
[糸井]
はははは。
[黒柳]
ないしは、いまでいう、紙に書いたカンペというのを周りの人に持たせてました。
もうぜんぜん、自分は関与しない。
何も憶えてないですよ。
いちど、一緒にドラマに出たときに、森繁さんはセットのついたていっぱいにセリフを書いていたんですが、本番でじゃまだからって、ついたてをスタッフが、どっかにひっこめちゃったのよ。
[糸井]
どかされちゃった(笑)。
[黒柳]
森繁さんは、それを知らずに本番に入りました。
ついたてがなくてどうすんのかなぁと思ってたら、そういうとき、ぜんぜん驚きません。
何を言うのか憶えてないのに、ですよ?
ナマですよ!
[観客]
(笑)
[黒柳]
そうしてゆっくり、あたりをずーっと見て、「ない」ことをだれも気がつかないとわかったんでしょう、
「ついたて!」
と言ったのよ。
[糸井]
ははははは。
[黒柳]
そしたら、すごい勢いでお弟子さんが走って行って見つけてきました。
そして、ついたてがセットの部屋の中にずずずずずずずず、とひとりでに入ってきてね、森繁さんは悠々とそれを読んでましたよ。
阪田三吉の役をやったときも、ひどかった。
[糸井]
はははははは(涙)。
[黒柳]
小さな坂を下りながら奥さんのことをひとりで語るというシーンがあったんですが、セリフはすべてスタッフに書かせて持たせていました。
坂だもんだから、フッ(笑)、紙を持ってる人も高いものに乗って、並んで坂になってるんですよ。
それを読みながら下りるわけ。
そんときはさすがにわたしも、
「これくらい憶えたらいいのに」
と思いました。
そしたら、放送終了後、すごくいっぱいNHKに連絡があったんです。
「泣きました」とか「よかった」とか。
[観客]
へぇえ。
[糸井]
憶えてもいない人のセリフでね。
[黒柳]
そうです。
だけどそのとき、若かったわたしは思いました。
そうか、森繁久彌という人はたとえカンニングでも、なんにも憶えていなくても、どこかで阪田三吉という人の心がわかってて、それを伝えて泣かすことができるんだ、この人はこれでいいんだ、と。
尊敬しました。
[糸井]
そうですねぇ‥‥‥‥。
[観客]
(笑)
[糸井]
つくづく思うんですけど、ぼくらが逸話のようにおもしろい話として知っていることは、きっとそれぞれの本人が発明してきたものですよね。
[黒柳]
そうね。
森繁さんにとっての先生は誰なんだろうと考えても、別にいないんです。
[糸井]
うん、うん。
[黒柳]
ですから、評価されにくいという面もありました。
文化勲章おもらいになるとき、よろこんでらっしゃいましたよ。
[糸井]
ああ、そうなのか。
[黒柳]
文化勲章は、大衆芸能ではじめてだったんです。
(つづきます!)
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