[糸井]
学校で習う大きなことのひとつに、
「やりたくないことをやらなきゃダメだよ」
があります。
負の要素をどうこなせるようになるかについて、かなり言われる気がするんですが。

[吉本]
僕がそういうことでいちばん気になるところは何かといったら、先生だったら先生が、親なら親が
「自分が子どものときに どうだったか」
を忘れてるんじゃないか、ということです。
忘れてるから、考えから除外してるんじゃないでしょうか。
自分がどうやっていたかを考えれば何もかもすぐにわかるのではないだろうかと思います。
いじめっ子やいじめられっ子のことも、言い換えると「もののあはれ」です。
その後の夫婦生活なんかの予行演習を、子どもなりにやっているわけです。
やらせておくほうが正しいんじゃないかなとも思うんですけど
「やっぱりそれはいけない」と先生や親は言いますね。
でも、ちょっと見当が違うんじゃないですか、という感じがするんです。
子どもに「いけないよ」と言う人が
「自分がそうだったときに、どうだったか」
ちょっとでも考えてみればいいじゃないかと思うんです。

[糸井]
自分もできなかったことを、子どもに無理にさせるわけにはいかないですし‥‥。
しかし、吉本さんは、文筆生活を送られてきて、締切を本当に逃しちゃったことはないとか、約束があるときには眠いけど起きるとか、そういうことは、身につけてこられたわけですよね。

[吉本]
ええ。ある程度は身についてきていますね。

[糸井]
それが身についてきた秘密とは、何だったんでしょうか?

[吉本]
ええと、これは、考えさせられる問いであって、どうも(笑)。
‥‥つまり、ある程度身について、ある程度は身についていませんね。
これは、調和を覚えたんだと思います。
「はいはい、それはやるよ」と言いながら、ぜんぜんやらないで遊んでたり、ボヤッとしたりすることは、当然あります。
でも、思いがけないときに、いつの間にかやっていたりもします。
そういう調和や加減を自分で覚えた、ということでしょう。
何かを言われていつも張り切ってやってた、ということではありません。

[糸井]
ありませんね。
僕も、そうじゃないです。

[吉本]
みんな寝ちゃったのに、ノソノソ起き出してやってみたりして(笑)
やってきた、そのバランスが、自分なりに合うということを覚えたんです。
その調子でいけばいいんじゃないか、とやっていくうちにわかってきたのでしょう。
ですから、決して努力することを覚えたとは思いません。
努力することも覚えたけど、そのかわり、怠けることもちゃんとうまく覚えた、と言えるんじゃないでしょうか。

[糸井]
考えてみれば、すべて怠けるという状態も、なかなか大変で(笑)。

[吉本]
そうそう(笑)。
いまみたいに年を食うと、痛切に感じます。
「やりたい」と思ったって目が利かない、なんていうこともあるわけです。
そういうときは、やめて休みますものね。
「やる」そのこと自体がどうというより、それに付随する外側のことがダメなこともあるわけです。
ですから、口で言うほど僕はうまく行ってないけど、とにかく
「やりたいこととやりたくないことを うまく調和している、その状態がつづく」
というよりほかないですね。
自分がそうなんですから、子どもたちもそういうことを自分で覚えていくのではないかと僕は思います。
(おしまい)


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