第1回 憎らしいし、うれしい。
[糸井]
これはクオカの商品ですか?
[斎藤]
お菓子の手作りキットです。
これはバレンタイン用。
材料が計ってあってラッピングも入ってます。
[糸井]
「何分でできます」「ボール1個でできます」
親切に書いてあって、これは、かゆいところに手が‥‥
[斎藤]
いや、まだまだ届いてないです、本当に。
やっとここまでできるようになったというのがぼくの実感です。
こういうキットはまだ3年目ですし、直営店以外の場所、つまりロフトさんやハンズさんでキットを扱っていただくようになったのは前回のバレンタインからなので、まだ2年目です。
[糸井]
なんだろう‥‥ちょっと憎らしいんだよね!
[斎藤]
え(笑)‥‥?
[糸井]
「どうして自分が考えなかったんだろう」
というタイプのことが、クオカの中にはあるからです。
「ああーっ!」と思うんですけど(笑)。
[斎藤]
ええ(笑)。
[糸井]
だけど、とってもうれしいんです。
クオカのビジネスの話はいろんなところで拝見しますが、ひさびさに、おもしろいですね。
[斎藤]
はい、いや、うれしいことです。
[糸井]
斎藤さんとは、いろどりの横石さんとのトークイベントで知り合ったんですが、徳島のご出身で、今も拠点は徳島なんですか?
[斎藤]
今はほとんど東京にいます。
ぼくは、大学入学で東京に出てきて、そのまま十数年間、東京で働きました。
徳島に戻ったのは1995年。
父の会社に入るためでした。
[糸井]
14年前ですね。
「父の会社」は、
「クオカ」ではないですよね?
[斎藤]
斎徳(さいとく)株式会社です。
[糸井]
サイトク‥‥斎藤トクベエさんが創業で?
[斎藤]
斎藤徳蔵でした(笑)。
明治5年、1872年創業の、砂糖卸業の問屋で。
[糸井]
お砂糖屋さんかぁ。
[斎藤]
甘いものが飛ぶように売れた、そんな時代だったんでしょう。
[糸井]
カッコいいですねぇ。
では、家業を継ぐ前に話を戻すことにして‥‥齋藤さんは、徳島から東京に出てきて大学で何を勉強なさったんですか?
[斎藤]
勉強してません(笑)。
[糸井]
え?
[斎藤]
卒業まで5年かかって、しかも卒業保留で卒業式に出られなくて卒業式の1週間後に卒業証書をもらった、そういう学生でした。
一応は商学部だったんですが‥‥
[糸井]
その5年間は何を?
[斎藤]
8ミリ映画ばかり撮ってました。
[糸井]
その道には行かなかったんですか?
[斎藤]
いいえ、行きました。
卒業して、最初はCMの制作会社に入ったんです。
5人くらいのちっちゃな会社でした。
そのあと、制作会社を3年間で3つ、渡り歩きました。
[糸井]
(目をぱちくり)そうなんですか。
[斎藤]
そうなんです。
[糸井]
いまはおかし屋さんですから、意外といえば意外な展開ですね。
ディレクターをやってたんですか?
[斎藤]
ディレクターもやりましたが、大学を出たのが遅かったこともあってプロデューサーをやることになりました。
人手が足りなくて、まあ、顔も老けてたんで(笑)。
[糸井]
ま、プロデューサーというのは年齢がものをいう一面がありますから、顔が向いていた、と(笑)。
[斎藤]
そのとおりです、顔のおかげで。
[糸井]
ということは、きっとお金についての修業は、そのときに経験なさったんですね。
[斎藤]
経験しました。
これは、役に立ちました。
(つづきます)
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