第5回 インターネットの斎藤さんです。



[斎藤]
徳島に帰ってしばらくして、1998年に、親父から
「社長やってくれ」
と言われました。
自分ではちょっと早いと思っていましたが。

[糸井]
1998年だと、ちょうど「ほぼ日」がはじまった年ですからインターネットは、ある程度ですが、普及していましたよね。

[斎藤]
そうですね。
ぼくがネットの世界に興味を抱きはじめたのは、世界一周する前の、1994年あたりです。
まだインターネットはなくて、ニフティサーブ(NIFTY SERVE)というパソコン通信でした。
「これは時間と距離を越えられる」と驚異的に感じたのを憶えています。
これからはネットの時代が来るだろうと思って、アサヒビールの名刺に、ニフティサーブのIDを勝手にゴム印で押したりしてました。

[糸井]
アサヒビール時代にもう、そんなことを考えていたんですね。

[斎藤]
ええ。勝手にモデムを買ってきて、会社のパソコンにつないでました。
総務部長に
「NTTから変な請求が来てるけど、何?」
「パソコン通信です」
「そんなわけのわからんものするな」
と、怒られたり。



[糸井]
はははは。

[斎藤]
徳島に帰ってすぐの1995年はいわゆるインターネット元年でした。
日経新聞あたりで、毎日インターネットの記事が出ていました。
さきほど、インターネットは時間や距離を越えられると言いましたけれども。

[糸井]
うん、うん。

[斎藤]
東京を経験した人間ほど、地方に帰ったときに、その格差は埋められないものだと気づきます。
「地方の時代は来る」とか言ってるけど、そんなの絶対来ない。
ぼくらは、東京に一極集中していることに、ものすごく危機感を抱きました。
ですから、東京経験者の間ではインターネットの話がものすごく響いたんです。
一方、徳島で生まれ育った人には、なかなかわかってもらえませんでした。
親父に「パソコン買ってくれ」と言うと、
「問屋にパソコンなんか要るか。ボケ!」
と、一蹴されました。
話しても無駄なので、妻にお願いして36回ローンでパソコンを買いました。
そして、そのパソコンで、自分でホームページをはじめてつくりました。

[糸井]
それが1995年だとしたらやっぱり早いですね。

[斎藤]
ええ、まだ徳島にはプロバイダーがありませんでした。
大阪の「ベッコアメ」につないで、月の電話代が40,000円。
これでまた父親に
「何をやっとるんだ」
と怒られて(笑)。

[糸井]
そのとき、具体的にはパソコンで
「何をやっとった」んですか。

[斎藤]
ただホームページをつくって喜んでました。
人が訪ねてくると
「インターネットってな」とちょっとHな画像とか見せて、
「すごいな!」

[糸井]
「タダか!」



つづきを読む

前へ 次へ
目次へ    
友だちに教える
感想を送る
ほぼ日のTOPへ