第4回 やりたいことをやる、大変さ。



[斎藤] 1994年に徳島に帰ろうとしたとき、父親からつねづね言われていたことを思い出したんです。
「中小企業の社長なんていうのは 休みはないんだ」

[糸井]
はははは。

[斎藤]
「じゃあ、休もう、今」
と、家内と2人で140日間、バックパックを背負って世界一周しました。

[糸井]
‥‥え?

[斎藤]
そうやって、徳島にたどり着いたんです。



[糸井]
それは勇気の要ることだなぁ。
140日間、世界を歩いて、おもしろかったですか。

[斎藤]
おもしろかったです。
アジアも回りましたけど、タンザニア、ケニア、エジプト、ヨルダンからイスラエルへ‥‥

[糸井]
それ、奥さんと2人で?
喧嘩とか、激しくあったんじゃないですか。

[斎藤]
喧嘩はほとんどなかったです。
140日間、トイレとお風呂以外はずっと一緒でしたけど。

[糸井]
離れたら危険だ、ということもありますよね?

[斎藤]
はい。
だから、いつも視界のどこかに必ずいる歩き方とか、そういうことが身につきました。

[糸井]
それは、いまご自分が事業をされていることにもつながっていきますよね。
最初は特に奥様とのチームワークだったでしょうから。

[斎藤]
それは本当にあると思います。
ちから加減やら、ふたりの背負っているものやら‥‥そうやって140日で世界を回り、最後に徳島にたどり着いて父親に「継ぎます」と言いました。
そのときに、
「ただ、ぼくの代でつぶれるかもしれない」
と告げたんです。
流通の世界というのは、どんどん変わっていかなきゃいけないから、
「もしかしたら斎徳なんていう名前は なくなっちゃうかもしれない。
 それでもいいの?」
そういうことで継ぎました。



[糸井]
斎藤さんは、CM制作会社のお金勘定や、アサヒビールのいろんな経験、さまざまなテストケースを見てきたから、そういうことがわかってたんですね。

[斎藤]
勉強してやろうとか修業だとか思ってなかったんですが、結果的に言えば、それまでのことがすごく役に立ったと思います。
CM制作会社時代に、プロの照明さん、カメラマンさん、音響さんと丁々発止で値段交渉したり、棒でしばかれたり、そんなこともいい経験になってますし。

[糸井]
いちばん役に立った経験は何ですか。

[斎藤]
いちばん役に立ったのは‥‥やっぱり、CMの制作会社にいた最初の3年間です。

[糸井]
そうなんですか。

[斎藤]
はい。アサヒビールにいたときというのは、
「そうは言ってもサラリーマン」で、周囲の価値観が一緒なんです。
まあ、どう出世するかとか、そんなようなことです。
でも、フリーの人たちはちがいます。

例えばダンス踊ってる人というのは、本当に、すごい貧乏しながらダンス道を追い求めていますから、サラリーマンから見たら考えられない生活をしていたりします。
「今月は収入がゼロ円だった」とか25,000円ぐらいのギャラを、
「なんとか今月中に入金してください」とかね。

ぼくはあの時代に、すごく多様な価値観に触れることができました。
人が、自分がやりたいことをやる、それがどれだけ大変かということがわかりました。
そこを極めていく人たちがいて、すごいなぁ、と思ってました。
自分にそんなことができるのかどうかわからないけど、やっぱりすごいなぁ、と思いましたね。

[糸井]
周囲には、すごくいろんな人がいて、その人たちひとりひとりを大事にしなきゃ、という気持ちがあるということですね。

[斎藤]
そのとおりです。

[糸井]
それは普通に会社にいたらわかりにくいですね。



(つづきます)


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