第6回 勝ち取らないけど、やめない。



[糸井]
ぼくは1997年にインターネットの騒ぎを見て驚いて、1998年に「ほぼ日」をはじめました。
仕事になるかどうかは見えないけども、
「こっちしかないな」という感じはたしかにありましたね。

[斎藤]
ええ。FAXや電話と同じようなインフラに将来必ずなるだろうなと思いました。
当時、まだ携帯はありませんでしたし。

[糸井]
「ピーガラガラガラ」と、ダイヤルアップ回線でつなぐ時代が長かったですよね。
あそこの辛抱はけっこう大変でした。
ページを重くしないように工夫したり、よそのページを見るのに自分も苛立ったり。
あの摩擦感を、
「いや、もっとよくなるはずだ」
と思うには、勇気が要りましたよ。



[斎藤]
今以上に電話代がかかったので、自分にもお客さまにも辛抱が要りました。
インターネットがスイスイつながるようなそんな時代が本当に来るのか、不安はすごくありました。

ただ、ぼくはアメリカが好きで、年に1度は西海岸に旅行していました。
アメリカの環境を見て
「きっと大丈夫」と思うことができたんです。
だけど、徳島でひとりでやってたら孤独で、不安でね。
親父も柱の影から見ていました。
「お前! インターネットとかやらないで、 お客さまのところに1軒でも 砂糖かついで行ったらどうや!」
そういう視線がビンビン背中に刺さっていました。

[糸井]
(笑)そうでしょうね。

[斎藤]
そのころは昼間は斎徳の社長をやって、夜中から明け方までホームページをつくりました。

[糸井]
その「夜中の作業」は、ちょっと趣味が入ってますよね。
たのしかったでしょう、きっと?

[斎藤]
ええ。たのしくなければつづかないです。

[糸井]
「これは仕事としてありうる」ということだけじゃ、やれないことですね。
誰かに雇われて「やれ」と言われたらできなかったでしょう。

[斎藤]
ええ。これを仕事だと思ったこともないし、これまでずーっと、たのしかったです。

[糸井]
アサヒビールの人はビールをいっぱい飲む、というのと同じことですね、きっと。
ここまでのお話を聞いてて思うんですが、斎藤さんは「言ってもだめだ」というところで絶対に闘争しないですね。
「突破しよう」じゃなくて
「別の方法を考えよう」としている。

[斎藤]
うーん、そうかもしれない。

[糸井]
斎藤さんは親父さんに
「パソコンはだめだ」と言われたとき、説得するんじゃなくて妻に頼んで36回ローンにしました。
そのパターンですよ。
「勝ち取る」とか、そういうふうにはしない。

勝ち取らないけどやめてない、絶対に。
壁を触りながら迷路を探るネズミのようにやめないで、いろんな道を進んでいく。

[斎藤]
なるほど、なるほど。
いやぁ、糸井さん、そうです、ぼくは、そうですね。

[糸井]
それは、今の時代には特に難しいことになってしまっているんじゃないでしょうか。
「もっと見えるものをやりたい」
「勝つんだったらやります」
そういう気持ちが、今は強くなってしまっているから。

[斎藤]
ええ、ええ。
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