第2回 国を越えて進んでいった「睡眠物質」の研究。
[糸井]
スタートした72年当初から、井上先生の睡眠の研究チームは、けっこう大所帯だったようですね。
[井上]
二桁にはならないけども、常時二桁近い、いろんな人たちがいました。
自分のチームだけじゃなくて、よその大学、よその研究所の腕利きの人とも組むわけですからね。
最近の科学とか技術というのはわりに共同作業が多いですが、そういう意味でも走りだったかもしれません。
しかも国内の学際というチーム作りじゃなくて、国外も、国際も含めて、要するに、これに関してはアメリカの誰それとか、スイスの誰それとか、そういう情報交換がありましたし、むこうでなにか新しい物質が発見されたら、それをこちらで測りましょうとか、そういうことも、ずっと進めてきたわけですね。
けれども、最初の10年くらいは成果が上がりませんから、現代の錬金術者だ、なんてことを(笑)
言われておりまして。
[糸井]
はぁー!
10年かかったということは、1980年代になってるんですか。
[井上]
そうです。80年代ですね。
[糸井]
ほんとうに、最近ですね。
さぞや‥‥
[井上]
ただ、サイエンスの強みというのは、証拠を出せばいいわけですよ。
現実のものを突きつければ、そういうことを言っていた人たちも、すぐ、頭のなかで考えていることを改めるわけですね。
この通り、脳の中にこういう物質があった。
こういうふうに効いた、と、データを出せば世の中が、変わってゆくわけです。
そういう形で研究が進んでいきました。
[糸井]
その、成果の上がらなかった最初の10年間はどこに向かっていくという指針はあったんでしょうか。
目標みたいなものは。
[井上]
ひとつはね、我々は長い間起きてると眠くなるでしょう。
[糸井]
はい。
[井上]
で、徹底的に起こしておくと、とにかく眠りたくなって、寝ちゃうでしょう。
ということは、脳の中に何か眠りを起こさせるホルモンみたいなものができてきて、それが起きてる間中どんどん溜まっていくんだと。
だから、起きてれば、起きてる時間が長ければ長いほどものがたくさん溜まってるだろうという前提です。
[糸井]
それが仮説ですね。
[井上]
はい。
そしたら、眠れないで長い間起きてる動物の脳をわけていくとちゃんと寝起きしてる動物と違う何かがたくさん出てくれば、それが眠りに関係した物質ではないか、そういう前提ですよね。
幸いそれを取り出すのは、比較的簡単にできたんです。
ネズミにはずいぶん申し訳ないことをしましたが、ネズミの脳というのは、体のわりには大きいんですね。
そういう脳を集めて、それをわけていくと、眠りの、ものすごくよく効く成分があるということが、わかったんですね。
ですから、それが出たら、世の中だんだん変わってきて、
[糸井]
それは、どんな物質なんでしょうか。
[井上]
それが、いっぱい出てきましてね。
要するにたった一つあるっていうんじゃなくて、眠りというのは非常に複雑な現象で、あの手この手で、いろんな条件で、眠ったり起こしたりしなきゃいけませんでしょ。
ですから、いろんな物質を全部インプットしてそれで最終的には脳が眠るべきか、起きているべきかを決めるわけですから情報の物質というのはいっぱいあるわけです。
その情報の中でも、主役的な役割を持ってる物質がいくつかあるわけですね。
はじめは一つだけだと思ったんです。
世界で3つのチームが盛んに先手争いで、研究してましてね、ほぼ同時に、3つのチームがそれぞれ違う物質を見つけたんです。
たまたま、そういう人たちと付き合いがあったから、その人たちが、わたしのところへその物質を送ってきたんですね。
というのも、眠りを測る測りは、こちらで開発してたんです。
要するに、どのくらいその物質が効けば眠りが変わるかということを、量でちゃんと測れるようにする。
それまで、寝てるか起きてるか、眺めてるようなそういう学問がずうっと続いてきたんですけど、その時点ではもうコンピュータで眠りの成分が何パーセント増える、というようなことまで計算できるようになっていました。
[糸井]
それは、脳波を取るようなことなんでしょうか。
[井上]
そうですね。
脳波とか行動とかいろんな指標をアレンジしましてね、それを、測る道具です。
かなり大掛かりなものです。
開発したのが70年代ですから、けっこうコンピュータって馬鹿でかくて。
[糸井]
そうですね、今とは違うわけですね。
[井上]
ひと部屋占めるような、そういう装置だったんですけどね。
それは、世界でわたしのとこしかなかったもんだから、その外国の連中も、そういう物質送ってきて、測ったら、みんな、効くんですね。
[糸井]
3つ、みんな違うのに。
[井上]
それぞれの人が、それまで、相当、マイナーで、悪口言われたほうなんですけど、みんな自信持っちゃって、国際会議を開こうじゃないかと、日本で最初のシンポジウムを開きました。
世界中から集めても20人いないくらいの人数だったんですけどね。
[糸井]
世界中に20人くらいしかいなくて、しかも、つい最近の80年代という。
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