[糸井]
もし、カージナルスとフィリーズと、入る順番が逆だったらどうだったんだろう。
つまり、アメリカに来て、最初にマニエル監督に会ってたら。
[田口]
ああ‥‥逆だったら、たぶん、ぼく、野球やめてたかもしれないですね。
2002年の時点で赤鬼に会ってたら、おそらく、ついていけないというか、引退に近いところまで追い込まれてたと思います。
[糸井]
はーー、そうですか。
[田口]
はい。そのころのぼくは頭の中が中途半端な状態ですから、赤鬼の野球を見たら、
「こんなの野球じゃない」と思って終わってたんじゃないでしょうか。
[糸井]
逆にいうと、カージナルス時代の経験というのはそうとう田口選手の力になってるんだ。
[田口]
そうですね。
トニー・ラルーサという監督と6年やったことが、いまもぼくの助けになってると思います。
彼に、野球というのはこういうものだという明確なものを教えていただいたんで、その自信で、この1年も乗り切れたというか。
「こういう場合はどうするんだ」ということを考えながら過ごすことができた。
トニー・ラルーサ監督との経験は、ぼくにとって、すごく大きいですね。
[糸井]
その基礎があったおかげで、まったく違う赤鬼の野球も受け入れることができたし。
[田口]
ま、そうですね(笑)。
[糸井]
立派な赤鬼派になれたわけですよ。
これはそれで、アリだと。
[田口]
そうなんです‥‥が‥‥やっぱり、アリはアリだとしても、もうちょっと、どうにかならないのかというのは、やっぱりありますよ(笑)、赤鬼に対して。
[糸井]
「オレとトニーの野球は、 そんなに違うのか、ソウ?」
[田口]
また、赤鬼が降りてきた(笑)。
[糸井]
「どこがそんなに違うんだ、ソウ?」
[田口]
ええとね、わかりやすいところでいうと、決断が遅くて困るんですよ。
たとえば、代打の準備をするとき、トニー・ラルーサの場合は、
「あのピッチャーが出てきたらこいつ、 このピッチャーが出てきたらこいつ」
とういふうに決めてるから、そのプランに合わせて準備ができるんです。
ところが、マニエル監督の場合は、控えの野手が5人、つねにベンチ裏でバットをぶるんぶるん振って待機してる状態で。
[糸井]
「オレはじっくり考えてるんだ、ソウ」
[田口]
いや、でもね、相手ピッチャー変わって、投球練習終わって、審判がこっちのベンチに向かって
「早く誰か出てこい」って言ってるのにまだ誰だか決めてくれないですからね。
[糸井]
「そ、そういうこともあったかな‥‥」
[田口]
いちばんひどかったのは、ベンチに座ってるときに呼ばれて、
「今日は違う選手をつかうから」
って言われたんですね。
で、決断が早いからめずらしいなあと思いながら、手袋外して、ベンチに座って見てたら、たまたまランナーが出て2塁まで進んで、
「ソウ、バントだ!」って。
[糸井]
「日本でも、そういうことが あったらしいじゃないか」
[田口]
いや、ありましたけどね(笑)、代打でそれをやられると困るんですよ。
バントって簡単にいいますけど、心の準備が要るんですよ。
[糸井]
「バントするときの心の準備って、 いったいなんなんだ、ソウ?
オレにはさっぱりわからないぞ。
練習したんだろ? ソウ?」
[田口]
練習してますよ。自信ありますよ(笑)。
[糸井]
「いつもより2時間よけいに外でやったよな。
日本式だ。オレも外で見てたぞ。
ボディはエブリシングを知ってるだろ?」
[田口]
練習はたっぷりやりましたけど、一回「ない」って言われると、自分の気持ちを切っちゃうじゃないですか。
[糸井]
「気持ちというのは 切ったりつないだりするものなのか?」
[田口]
そりゃそうです。
テンションの抑揚があるんですよ、監督。
一回下がっちゃったテンションは簡単には上がらないんです。
[糸井]
「なかなか複雑だな。
でも、プロなんだから、上げろ」
[田口]
(笑)
[糸井]
「座席に立つ前まではのんびりしてていいから。
あの四角のなかに入ったら上げろ。な?」
[田口]
あ、上げます!
[糸井]
「頼むぞ!」
[田口]
上げますし、ちゃんとバントもしてきます。
[糸井]
「よし、それでいい」
[田口]
しかし、これを続けることによって、選手全員が疲れちゃうんですよ。
[糸井]
「野球っていうのは、疲れるものなんだよ」
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