2010/03/02
オリンピックの、いい話 (1/1)



カナダのパトリック・チャン選手。
現在19歳の彼は、15歳の時に長年師事していたコルソンコーチを交通事故で亡くしています。
コルソンコーチはその時90歳でした。
フィギュアには、今は廃止されたのですが、コンパルソリーという氷の上で図形(フィギュア)を描く種目がありました。
その廃止されたコンパルソリーをコルソンコーチはパトリック・チャンに徹底的に教え込みました。
パトリック・チャンは最初は廃止された種目の練習なんて意味がないと思っていたそうですが
「滑る」という基礎力の高さは彼の武器になりました。
そして彼のエキシビションは「イエスタディ」。
途中でコンパルソリーの練習のような振付がありました。
「カナダの人にコルソンコーチの 最後の教え子の姿を見てほしい」
と言っていたパトリック・チャン。
カナダの人達にも天国のコルソンコーチにもその姿は届いたんではないでしょうか。
美しいスケートでした。
(ゆきくま)

そんな話が。ありがとうございました。


フィギュアの解説で村主章江選手が出演されていましたが、オリンピックの衣装の話になったとき、
「村主さんはこれまでの衣装をどうされていますか」
という問いに
「ぜんぶ(後輩達に)あげています。
 手元には1着も残っていません」
と答えていました。
やはり莫大な費用がかかるこの競技、後輩達の負担を少しでも軽くしてもらおうと全ての衣装を後輩達に譲って使用してもらっているそうです。
目に見えないところでこうやってお互い支えながらフィギュア界は成長し、今や世界一の層の厚さになりましたね。
そしてこれからもこのいい連鎖が続いて行くよういつまでも応援し続けようと思います。
(chiharu)

わぁ。そうなんですか。
すごいなぁ、村主選手。
そしてなにより、村主選手も、いたかったでしょうね、あのリンクに。



雪など絶対に降らないアフリカの某国に住んでいます。
バンクーバーにも参加していません。
我が家では衛星テレビを見ていますが、それでもスポーツ関係は一切映りません。
そもそもスポーツ等によって国民が一致団結することを覚えたり、特定の選手が人々の人気を独占しては困ると思っているお国柄なのです。
Youtubeもアクセスできません。
幸いこのオリンピック期間中に国外に出ることができ、その数日間だけはこんなにオリンピック漬けになったことはないほどオリンピックを見ました。
うるうるしながら試合を見ながらふと、これほど素晴らしいものを、私が住むあの国の人たちはどれほど知っているだろうか、どれほど観ただろうかと思いました。
きっと誰も何も知りません。
もし、オリンピックに参加し、その素晴らしさを理解できるようになる時がきたらその時はこの国が本当の意味でもっと良い方向へ進んでいきそうな気がします。
でも、それがいつになるか、今のところは全く見えません。
観たぞ、ではなくてごめんなさい。
ただの感想でした。
(むかしフィギュアやってました)

NHKの刈屋さんにインタビューしたとき、こんなことばを教えてもらいました。
ボイコット問題に揺れたレイクプラシッド五輪の実況のなかで、刈屋さんの先輩の西田アナウンサーがおっしゃったことばです。
「我々、日本人は、 4年ごとにオリンピックが 開かれるもんだと思ってる。
 でも、そうじゃないんだ。
 国際社会がちょっとでもバランスを失ったら オリンピックっていうのは、 あっという間に開けなくなってしまう。
 だから、当然開かれるもんだと 思ってること自体が認識不足なんだ」
そのことばを刈屋さんは、さらにつぎのように解釈して、わたしたちに伝えてくださいました。
「オリンピックというのは、 世界の人たちが オリンピックを開こうという意思があって はじめて開かれるものである。
 だから、そういう世界じゃないと オリンピックは開けないし、 逆にオリンピックを開くためには、 そういう世界にしなきゃいけない。
 それがオリンピックの理念じゃないか」
メールをいただいて、そのことばを思い出しました。



私は荒川選手が金メダルをとった日の自分の服装を覚えています。
紺色のユニクロのホームウェアにスリッパ。
前年のクリスマスイブの前日に0歳の息子の病気が発覚。
それからずっと病院に付き添って泊まりこんでしました。
急な入院だったので、着ていた服は急遽家族が買ってきてくれたものでした。
大部屋で気兼ねしながらいつものように眠れない夜をすごし
「また辛い一日が始まる」と思いながら朝食を受け取った時
「フィギュアで金メダルだって!」という一報が。
私はその時、はじめて冬季オリンピックが開催されていることに気がつきました。
いそいでつけたTVに映っていたのはイナバウアーをする荒川選手。
華やかなスケートリンクはまるで別世界の出来事のよう。
「きれいだな」とは思いましたが、喜びも感動も沸きませんでした。
オリンピックを観れること。オリンピックを楽しめること。
それだけで私たちは幸せで恵まれている。
そのことを忘れてはいけないと私は思います。
(茶鰐)

どうもありがとうございます。


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