[糸井]
映画づくりというのは、ひとりの頭のなかから生まれた世界を大勢で分業して形にするシステムがすごく発達していると思うんですけど、それでも、できあがった映画は、最初にそれを思った本人からするときっと妥協のかたまりなんじゃないかという気がするんです。
[三谷]
ま、そうですね。
だから、妥協するのがいやな人は、たぶん、映画はやらないほうがいいと思います。
ストレスが溜まることばっかりですから。
[糸井]
それ、三谷さんは、いやじゃないんですか。
[三谷]
僕は、じつはそんなにいやじゃない。
[糸井]
へー、あ、そうなんですか。
[三谷]
あのー、こんなことを言うと、重岡さんからバッグでなぐられるかもしれないんですけど‥‥。
[重岡]
なぐりませんって。
[糸井]
携帯電話が飛んでくるかもしれないけど。
[重岡]
飛ばしませんって。
[一同]
(笑)
[三谷]
あのー、なんていいますか、僕のなかで100のことをやろうと思ってて、みんなの意見を集めているうちに妥協して、80になっちゃうのはいやなんですよ。
[糸井]
うん。
[三谷]
だから、最初、120ぐらいの感じからはじめるんです。
[糸井]
あーー(笑)。
[三谷]
で、ちょっと妥協してちょうど100ぐらいになるな、というくらいの計算がなんとなく自分のなかにあるんです。
[糸井]
つまり、妥協自体は、いやではない。
[三谷]
はい。前にも言ったかもしれませんが、僕が小説家ではなく脚本家になったのは、やっぱり人と関わっていたい、という気持ちがあるからなんです。
人と関わる以上、どこかで妥協しなきゃいけない局面が出てくる。
それがいやだったら、たぶん僕はひとりで小説を書いてただろうと思います。
[糸井]
なるほど。
あの、ぼくも、結論としては三谷さんと同じで、100の望みを持ったどうしのふたりが出会って両方かなうことって、ないと思ってるんですよ。
[三谷]
ええ。
[糸井]
それは、前に文章で書いたことがあるんだけど、
「低いところで会いましょう」
っていうことだと思うんですね。
高いところで会おうとするから
「わかってくれない」ってなるんだけど、はじめから低いところで会うと気持ちのいい関係ではじめることができる。
その、歳と経験を重ねると、そういうことがだんだんとできるようになるんで。
[三谷]
うん、うん。
[糸井]
だから、身の丈ではじめるようにこころがけているぶん、妥協せずにすんでるんじゃないかな。
[重岡]
なるほど。
[糸井]
それ、三谷さんの仕事にも、似たところを感じるんですよ。
完全を目指してるわけじゃなくて、つくるときの「遊び」みたいなものをあらかじめ確保してあるというか。
だって、そもそも、あて書きをしたり、役者さんにゆだねたりっていうことをしょっちゅうされてますし。
[三谷]
そうですね。
[糸井]
『ザ・マジックアワー』ではあえてその部分を禁じたっていう話をされてましたけど、生のものをおもしろく活かすのは三谷さんの本来の持ち味のひとつですよね。
たとえば『やっぱり猫が好き』なんて、生ものをそのままいじってるみたいなもんでしょう?
[三谷]
ああ、ええと、そうですね、あのー、『やっぱり猫が好き』って、じつはぼくが脚本で入ったころって、はじまってからワンクール経ってたんですよ。
[糸井]
あ、そうだったんですか。
[三谷]
そうなんです。
で、そのころにはもう、もたいさん、小林さん、室井さんという3人のチームワークができていて、もう、フリートークでいくらでも場を盛り上げることができる、というほどだったんですけど、さすがに毎回3人のトークに頼っていると話が尽きちゃうみたいな状況があって、なんか、ちゃんとした台本がほしいね、ということで僕が入ったんですよ。
[糸井]
はぁー。
[三谷]
だから、僕の仕事としては、まず、3人のフリートークな雰囲気を崩しちゃいけない。
[糸井]
うん、うん。
[三谷]
でも、ストーリーはちゃんと作んなきゃいけない。
っていうところから、いろいろ考えて、
「とにかく覚えなくていい台本を書こう」
ということに落ち着いたんです。
やっぱり、セリフを覚えちゃうとあの3人の独特な自由さがなくなって段取りになっちゃうんで。
[糸井]
ああ、そうですね。
[三谷]
だから、3人が集まって台本を初見で読んだときに、
「だいたい内容はわかった。
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