[糸井]
なんていうか、今回、落ち着いてますよね、ドラマが。

[三谷]
え、どういうことですか?



[糸井]
つまりね、観るものを興奮させすぎないんですね。

[三谷]
あー、うんうん、なるほど。

[糸井]
なんでもかんでもてんこ盛りにして、
「おもしろいでしょ?」「おもしろいでしょ?」
っていうんじゃなくて、脚本を書きながら、
「落ち着け」「落ち着け」って感じの三谷さんが見える気がしたんですよ。

[三谷]
そうかもしれませんね。
なんというか、このドラマは、ある家族の歴史でもあり、昭和の歴史でもあるんですけれども、ぼくのとるべき立場としては、なるべくそれを俯瞰で描くことだなと思っていて、それでいて高見から見下ろさないこと、
「俯瞰で描きつつも目線を下げる」
という気持ちがすごくあったんです。


***************
【昭和の歴史でもある】
舞台は戦後まもない昭和の時代。主人公の一家の運命を描きながら、実際にあった昭和の事件なども随所に描かれる。流行りや文化が反映されているのはもちろん、画面のあちこちに、当時の有名人が、まるで通行人のように登場する。

かといって堅苦しいドキュメンタ リーではなく、三谷作品特有の遊び心に満ちている。縦糸にぐいぐい引き込まれながらも三谷さんが織り込む油断ならない横糸にちょこちょこ目を奪われる、という感じ。
***************


[糸井]
あー、わかります。

[三谷]
だから、すごく、登場人物に対して、僕は客観的になってたのは、たしかかもしれないですね。

[糸井]
まぁ、8時間という長さをかけて描くうえで、トゥーマッチにならないようにという配慮もあると思うんですけど、なんていうか、こういう素材を扱うときに、お客さんに過剰に興奮してほしくないと思ってらっしゃるような印象があって。
だから、全体のトーンが「平熱」なんですよね。

[三谷]
たしかに、この昭和の初期から中期という時代は熱く描こうと思えばいくらでも熱く描ける時代なんです。

[糸井]
そう、そうなんです。
だからこそ、そこで平熱を保っていることが観る側としてはすごくよかった。
なんていうか、平熱だからこそ、逆に目が離せないんですよ。

[重岡]
ああー。



[糸井]
テレビドラマをよく観る人ならわかると思うんですけど、熱い展開のドラマって、意外に横向いてみかん剥いたりできるんですよ。
でも、このドラマは平熱なんで目が離せない。
ずーっと、見つめ合ってるような感じがして。
それは、脚本だけじゃなく、演出の方の姿勢も含めて、意図されたものというか、きちんとわかったうえでこうされたんだろうなあと思ったんです。

[三谷]
そうですね‥‥。
あの、あの時代を描いた作品に、『三丁目の夕日』という映画があって。

[糸井]
はい、ありますね。

[三谷]
あれを観たときに、まぁ、決して嫌いではないんですけど、あのベタな、これでもかみたいな感じが、僕には、ちょっとトゥーマッチだったんです。

[糸井]
はい、はい。

[三谷]
そう言いつつ、しっかり泣いたりはしたんですけど、わかります?

[糸井]
わかります、わかります(笑)。



[三谷]
くり返しますけど、嫌いじゃないんです。
ただ、このドラマでは、あの時代を扱うときに、ああいう描き方はしたくないな、という気持ちがあって。
もうちょっと具体的にいうと、たとえば、ああいう古きよき時代に対するセピア色の風景みたいな印象。
それって、僕のなかにまったくなかったんですよ。

[糸井]
あー、なるほど。

[三谷]
それは最初に現場のスタッフの方にもお話ししたんですけども、あの当時にぎらぎらした色がなかったかっていえばそんなことないわけで。
それをあえてセピア色に描くのは、なんか、すごくこう、傲慢な感じがしちゃったんですよね。
たとえば、僕らがいまいるこの時代を50年後のテレビ人が、ドラマにしたときに、画面がセピアだったら、すごくいやだと思うんです。
いや、こんなんじゃなかった!
って言いたくなるじゃないですか。



[糸井]
遺影みたいになっちゃうよね。

[三谷]
そうですね(笑)。
だから、もう、できるだけ、現代のように描いてくださいっていうことはお願いして。
それはたぶん、河野監督も、他のスタッフの方も意識されてたと思います。

[重岡]
そうですね。

[糸井]
なんていうか、それは、その時代とその時代を生きた人に対する礼儀のようなものじゃないかなぁと思うんです。

[三谷]
ええ。

[糸井]
自分たちが知ってる時代の話でもあるから、当事者として戯画化されたくないという気持ちもありますしね。
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