糸井重里のコラム
2025-12-30
すごいぞ、毎年同じだぞ

・ここにきて、すっかり「お馴染みの年末年始」になった。すごいもんだなぁ、同じことを繰り返しているんだ。29日には新幹線に乗って京都へ。総勢5名でレンタカーに乗り山の中の温泉宿にやってくる。そのメンバーの1名も、もう何年も参加しているけれど、ある時期まではベビーカーが必需品だったっけ。いまじゃ、温泉に入ってシャンプーもじぶんでしているし、モノマネだのクイズだの大暴れだのを延々とやっている。

30日は、いつもの「もちつき」に参加させていただいて、 おもちをいろんな食べ方でご馳走になる。東京に戻ると「丹波の黒豆」が届いているから、夜はそれを煮る準備をはじめる。これはもうかれこれ30年くらいやっていることだ。同時に、小豆も頂戴しているので、これはあんこにする。段取りとか、手続きとかがほんとうに苦手なぼくは、こういう根気よくやれば必ずできることは、嫌いじゃない。ジャム用のビンも買ってあるので、何軒かに宅配で届ける。しかし、いわゆる元旦のおせちには間に合わない。京都の落柿舎近くの井浦人形店さんの干支人形を添えて、送り出すのは年が明けてからのことになる。こうやって書いていてよくわかるのだが、出てくる「名詞」と「動詞」が、お馴染みなのである。もうちょっと具体的に書いたら、もっとよくわかる。同じもの、同じ人、同じ行動が、この時期に、まったく同じように繰り返されているのだ。既視感というにも無理がある、知っててやってることだし。さらに、ここから正月の様子など書き出したら、もっと同じだとわかるにちがいない。せいぜい、おせちの作り手の料理人が亡くなったり、店仕舞いしたりして、少し変化していることぐらいかな。

同じ、同じ、同じ、この同じは同じなりに、少しずつは変化してきて、こういう同じになった同じだ。正月と言えばバリに行ってた時期なんかもあったり、昔は故郷だってなくはなかったわけだしね。来年のいまごろになって、また同じだったら、この原稿をそのままコピーして掲載しようかしらん。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。この同じをありがたいことですと言えるようにはなりました。

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