吉本 |
フランスの思想の緻密さを見て思うのは、
「ご当人はもう死んでしまっているのに、
お葬式でいやに豪華な花を作る」ような・・・。
よくやってるもんだなあ、
あんなものは、もうおしまいなんじゃないか、
文化のおしまいに、近いんじゃないか、と思うんだけど。
まあ、「すごいもんだなあ」とは感じますよ。 |
糸井 |
それは、モードとして
爛熟してるということでしょうね。
知のモードとして。 |
吉本 |
ぼくは、決して
いいものだとは思っていないというか・・・。
「頭、いいねぇ」とは思いますけど。 |
糸井 |
曲芸を見るように。 |
吉本 |
そうですね。
それだけだと思いますね。
たいしたもんだとは、思っていないです。
あの緻密さのようなことは、いろいろな面で、
日本にも、兆候がありますよね。 |
糸井 |
ありますよね。それに憧れる人だとか。 |
吉本 |
憧れる人も多いし、
「そうじゃないといけないんじゃないか」
と思ってしまう人も多いし・・・。
円周率が3だとか、それだけで十分だというのを
納得したほうがいいんじゃないか、っていう風に
ぼくは思いますけどね。 |
糸井 |
まあ、曲芸とか変態プレイだとかには
観客がつきますから、
商業的には成り立ちますけどねぇ。 |
吉本 |
ええ。 |
糸井 |
吉本さんがいま、
由々しくもおっしゃったけど、
フランスなんかは、
思想を輸出品であると考えた時には、
緻密に、研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど、
モードとしての価値は、
あがるでしょうね。 |
吉本 |
あがるでしょう。
そういうことは、ありますでしょうね。
そういう意味では、
とてもわかるような気がします。 |
糸井 |
「観客どうしが、
部室を作ってまた語り合って、
その部室を見る観客がいて・・・」
みたいなのは、空しいですよね。 |
吉本 |
そういうことは、ありますね。
こないだ、テレビの
「世界ウルルン滞在記」を見てたら、
ひとりの俳優さんが、中国で
書の先生に習うという回がありました。
「何を習わせるのか」と見ていたら、
だいたい、指を折って動かす運動から、で。 |
糸井 |
ふーん。
柔軟運動みたいなやつですか? |
吉本 |
そうです。
あの・・・つまり、
どういったらいいのでしょうか。
中国で「大家」だと言われている先生が、
そういうところから教えていくわけです。
「ウルルン滞在記」は、
1週間滞在すると言う番組なのですが、
指の関節の運動をさせて、時をあらためて、
細かい字を書いてみろ、だとか、
そういったことを、やらせているわけです。
つまり、それは、
こちらから見たら曲芸というか、
「米粒に幾字書いた」みたいなことに
扮した練習に、見えるんですよ。
ぼくは見ていながら、
「こんなのは、良い字を書くとか
そういうこととは関係ないよ」
というように思えるので、
書道をしている知りあいに、聞いてみたんです。
そうしたら、
「中国ってのはそうなんだ、
そういう教えかたをするもんなんだ」
と言われました。 |
糸井 |
纏足みたいな、ものですね。 |
吉本 |
そうです。
『つまり、米粒に書くような技を、
中国では『うまい』『大家』と評価すると、
もう、そういうことなんですよ」
と、ぼくの知りあいで書道をやっている人は、
言うんです。
その人は、
「自分はもうこどもの時からやっているから、
そういうことはやらないけど、
手というのは、精神に通じているんです。
こどもの時から、内側に通じているんです」
と、テレビに出ていた書家よりも、
よっぽどいいことを、言っていました。
外観の指の訓練から訓練していくことなんか、
ほんとうは、問題に、ならないんですよ。
中国のうまい人は、ですから、
いい字を書くかというとそうではなくて、
非常に緻密にできている、というか、
そういう人が、いわゆる
「大家」になっているようです。
それでは、最高の曲芸とおなじで、
そんなのはいくら米粒に何字書けようが、
ぜんぜん問題にならないと
ぼくは、思うんですが・・・。 |
糸井 |
ちょうどそっくりな話を
このあいだ聞いたんですけど、
少林寺本山に弟子が多いのには、
ちゃんと理由があるそうなんです。
普通に生きていると、
農民のままで、終わるわけですよね。
その地面を蹴って、農民ではない
違うステップに入るためには、
例えば、「少林寺で武道を磨く」ことをすれば、
違う局面での生き方ができるわけです。
だから、
才能があるかどうかわからないけれども、
自分が農民ではない生き方を選んだ時には、
「メシのタネ」として、
ワーッと、少林寺に群がるんだそうです。
つまり、中国の人たちは、あちこちに
そういう事業のタネを見つけるんでしょうね。
さきほどの、書をやっている
吉本さんの知りあいという方は、
石川九陽さん、ですよね? |
吉本 |
ええ。 |
糸井 |
あのかたは、もともと
歌舞伎の家の息子みたいに、
ずうっとそういう訓練をしてきていますから、
なるべくして、書家になっていますよね。
でも、中国の少林寺で訓練をように
あとから書の世界に入ろうと言う人たちは、
指を動かす訓練から、していくという・・・。
農民が、「書をするからだ」に変えていく時期が
きっと、あるんだろうなあと思います。 |
吉本 |
そういうことでしょう。 |
糸井 |
そういうところ、おもしろいよねぇ。
何か、「中国」を、あらわしてますね。 |
吉本 |
ほんとに、そうですね。 |
糸井 |
でもそれ、日本も似てますね。 |
吉本 |
似てるところもあるし、実際、似ています。
(つづく) |