YOSHIMOTO
吉本隆明・まかないめし
二膳目。

<第5回 曲芸ができたって、問題にならねえんだ。>

吉本 フランスの思想の緻密さを見て思うのは、
「ご当人はもう死んでしまっているのに、
 お葬式でいやに豪華な花を作る」ような・・・。
よくやってるもんだなあ、
あんなものは、もうおしまいなんじゃないか、
文化のおしまいに、近いんじゃないか、と思うんだけど。
まあ、「すごいもんだなあ」とは感じますよ。
糸井 それは、モードとして
爛熟してるということでしょうね。
知のモードとして。
吉本 ぼくは、決して
いいものだとは思っていないというか・・・。
「頭、いいねぇ」とは思いますけど。
糸井 曲芸を見るように。
吉本 そうですね。
それだけだと思いますね。
たいしたもんだとは、思っていないです。
あの緻密さのようなことは、いろいろな面で、
日本にも、兆候がありますよね。
糸井 ありますよね。それに憧れる人だとか。
吉本 憧れる人も多いし、
「そうじゃないといけないんじゃないか」
と思ってしまう人も多いし・・・。
円周率が3だとか、それだけで十分だというのを
納得したほうがいいんじゃないか、っていう風に
ぼくは思いますけどね。
糸井 まあ、曲芸とか変態プレイだとかには
観客がつきますから、
商業的には成り立ちますけどねぇ。
吉本 ええ。
糸井 吉本さんがいま、
由々しくもおっしゃったけど、
フランスなんかは、
思想を輸出品であると考えた時には、
緻密に、研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど、
モードとしての価値は、
あがるでしょうね。
吉本 あがるでしょう。
そういうことは、ありますでしょうね。
そういう意味では、
とてもわかるような気がします。
糸井 「観客どうしが、
 部室を作ってまた語り合って、
 その部室を見る観客がいて・・・」
みたいなのは、空しいですよね。
吉本 そういうことは、ありますね。

こないだ、テレビの
「世界ウルルン滞在記」を見てたら、
ひとりの俳優さんが、中国で
書の先生に習うという回がありました。

「何を習わせるのか」と見ていたら、
だいたい、指を折って動かす運動から、で。
糸井 ふーん。
柔軟運動みたいなやつですか?
吉本 そうです。

あの・・・つまり、
どういったらいいのでしょうか。
中国で「大家」だと言われている先生が、
そういうところから教えていくわけです。

「ウルルン滞在記」は、
1週間滞在すると言う番組なのですが、
指の関節の運動をさせて、時をあらためて、
細かい字を書いてみろ、だとか、
そういったことを、やらせているわけです。

つまり、それは、
こちらから見たら曲芸というか、
「米粒に幾字書いた」みたいなことに
扮した練習に、見えるんですよ。

ぼくは見ていながら、
「こんなのは、良い字を書くとか
 そういうこととは関係ないよ」
というように思えるので、
書道をしている知りあいに、聞いてみたんです。
そうしたら、
「中国ってのはそうなんだ、
 そういう教えかたをするもんなんだ」
と言われました。
糸井 纏足みたいな、ものですね。
吉本 そうです。
『つまり、米粒に書くような技を、
 中国では『うまい』『大家』と評価すると、
 もう、そういうことなんですよ」
と、ぼくの知りあいで書道をやっている人は、
言うんです。

その人は、
「自分はもうこどもの時からやっているから、
 そういうことはやらないけど、
 手というのは、精神に通じているんです。
 こどもの時から、内側に通じているんです」
と、テレビに出ていた書家よりも、
よっぽどいいことを、言っていました。
外観の指の訓練から訓練していくことなんか、
ほんとうは、問題に、ならないんですよ。

中国のうまい人は、ですから、
いい字を書くかというとそうではなくて、
非常に緻密にできている、というか、
そういう人が、いわゆる
「大家」になっているようです。

それでは、最高の曲芸とおなじで、
そんなのはいくら米粒に何字書けようが、
ぜんぜん問題にならないと
ぼくは、思うんですが・・・。
糸井 ちょうどそっくりな話を
このあいだ聞いたんですけど、
少林寺本山に弟子が多いのには、
ちゃんと理由があるそうなんです。

普通に生きていると、
農民のままで、終わるわけですよね。
その地面を蹴って、農民ではない
違うステップに入るためには、
例えば、「少林寺で武道を磨く」ことをすれば、
違う局面での生き方ができるわけです。

だから、
才能があるかどうかわからないけれども、
自分が農民ではない生き方を選んだ時には、
「メシのタネ」として、
ワーッと、少林寺に群がるんだそうです。

つまり、中国の人たちは、あちこちに
そういう事業のタネを見つけるんでしょうね。

さきほどの、書をやっている
吉本さんの知りあいという方は、
石川九陽さん、ですよね?
吉本 ええ。
糸井 あのかたは、もともと
歌舞伎の家の息子みたいに、
ずうっとそういう訓練をしてきていますから、
なるべくして、書家になっていますよね。

でも、中国の少林寺で訓練をように
あとから書の世界に入ろうと言う人たちは、
指を動かす訓練から、していくという・・・。
農民が、「書をするからだ」に変えていく時期が
きっと、あるんだろうなあと思います。
吉本 そういうことでしょう。
糸井 そういうところ、おもしろいよねぇ。
何か、「中国」を、あらわしてますね。
吉本 ほんとに、そうですね。
糸井 でもそれ、日本も似てますね。
吉本 似てるところもあるし、実際、似ています。

(つづく)

2001-08-13-MON

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