吉本 |
ことわりきれないことってありますねぇ。
・・・漱石の『道草』ってのを読むと、
こどもの時に養子にやられて、
養父だった人がいましたが、
そいつが、漱石の家のあたり、
根津権現の裏のあたりの坂で待っている。
漱石は、その養父だったおじさんに、
毎月お金を払っていたんですよ。
「お前は大学の先生になって偉くなった。
俺はお前を昔に養ってやったんだから」
みたいなことを言って、お金を無心するんです。
漱石は、一生、
その人につきまとわられているんです。
そういうのは、いちばん困るというか、
参るものだったでしょうねぇ。
「確かに子どもの時には養ってもらった」
という気持ちが残っているところに、
「おもちゃが欲しいと言ったら買ってやった」
みたいなことを言われたら、
自分のほうでも、
お金を無心する義務が
あるような気がしてしまうんですね。
そのあたりのことが、
フィクションではありますが、
『道草』には、書かれています。
最後のほうで、
「世の中に、片付くことなんて、何もない」
というセリフがありまして、
ぼくはそれを、すごくよく覚えています。 |
糸井 |
うわあ・・・重いですねえ、そりゃあ。 |
吉本 |
漱石の奥さんは、
「あんなの追っ払っちゃいなさい」
と言うけれども、ところが、
漱石のほうには、
「確かに、育ててもらった」
という気持ちがあるから、
「これ以上、つきまとわないでください」
とは、言えないんですね。
嫌な思いをして、悩まされていたというのは、
『道草』を読むとよくわかります。
漱石は、その人にお金を払いつづけた。 |
糸井 |
そういうものの解決方法は
ひとつしかなくて、「正解」は、
第3者を、入れることなんでしょうね。
|
吉本 |
そうなんだろうなぁ。 |
糸井 |
漱石の育ての親の言っている「恩」が、
どれだけ、何でもないことかを、
間に立っている人が、
説明をして、貿易商人をやってくれれば、
理論的な決着に、なりますよね。 |
吉本 |
そうなんですよ。
『道草』を読むと、こどもだった時、
自分は養父にどういう約束をしたのかを、
お姉さんに聞きに行ったりも、
しているんですよね・・・。
聞きにいっても、
気持ちの整理がつかない。
それは、とてもよくわかるように、
描かれていますね。 |
糸井 |
離婚しようとしている人の抱えているのは、
ぜんぶ、そのたぐいの悩みですよね。
「最初は、お前が口説いたじゃないか」
っていう・・・。 |
吉本 |
漱石は、そういうことでは、
とても苦労した人だと思います。
自分のほうで、
「確かにお世話になった」
という気持ちがあると、
相手に、どういう風に言ったらいいのか。 |
糸井 |
転向の話も、
ぜんぶ、そういう難しさですよね。 |
吉本 |
そうです、そうです。
親鸞は、2回転向していて、
最後には「念仏だけだ」というところまで
行ってしまいましたよね。
首の皮一枚だけでわずかにお坊さんなので、
あいつは転向した転向したと言われる
ところなのですが、親鸞は、転向と言わずに、
「転入」と言っていますね。 |
糸井 |
「入」なんだ。 |
吉本 |
「三願転入」って言って、
三度目の正直だと。
「念仏だけ唱えれば、
あとは何やったっていいんだ。
いいことなんてしたら、妨げになる」
親鸞は、
そんなところまで、行きましたからね。
「浄土系の宗教はもう俺でおしまいにする」
というぐらいの感じでやっています。
だから、変化をしたのですけれども、
「転入」って、うまい言葉だなあと思います。 |
糸井 |
うまい。
苦しい中から出てきたって感じがしますよ。
コンセプトって、
苦しみの中から出てくる気がしますね。 |
吉本 |
いい言葉だなあ、とぼくは感心しました。
自分も「転向した」と言われるけど、
今度は、「これは転入なんだ」と言おうと。
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糸井 |
そうだ。俺もそうします(笑)。 |
吉本 |
親鸞のやっていることは、
ほんとうのことを言うと、転向ですよ。
坊主らしいことはみんなやめちゃって、
肉は食うし、奥さんはもらうし、
お坊さんのしてはいけないあらゆることを
ぜんぶ、やったひとですから。 |
糸井 |
ものすごいことを、してますよね。 |
吉本 |
したんですよ。
何にもするな、何も残すな、
寺も作るな、仏像なんて拝むな・・・
ぜんぶ、「なし」にしちゃいましたね。
それで、2回の転入で
3番目にやっと、たどり着いたのは、そこで。 |
糸井 |
きつかったでしょうね。 |
吉本 |
きつかったですよ。
今ごろになって、どこの宗派の坊さんも
妻帯はするし、肉も魚も食うわけです。
それを、7〜800年前にやっちゃってる。
すごい圧力を受けたと思いますね。
「転入」は、いい言葉で、確かに、
気分から言えば親鸞も
自分でも実際にそう思っただろうし、
ぼくらなんかでも、
「お前、変わったな」と言われても、
「転入なんだ」と言いたい気持ちはありますから。 |
糸井 |
さっきの漱石だって、おじさんから見たら、
「変わった」ということになりますよね。 |
吉本 |
そうですね。
親鸞は、すごいことをしたと思います。
だいたい、名前からして、
釈迦の次の次くらいに偉い、
天親という人の「親」と、
中国の浄土教の開組の曇鸞の「鸞」を
一字ずつとって名前にしちゃっているんですから。
ものすごく謙虚な人ではあったのですが、
名前を見るだけでも、
ほんとうは、ものすごく自信があったんでしょうね。
俺は浄土門の仏教は終わらしてしまう、
という自負があったと思います。 |
糸井 |
迫力が、ありますねぇ・・・。 |
吉本 |
すごいですよ。
当時で言えば、西欧をのぞいた、
インドと中国と日本が全世界なわけです。
そのインドと中国を代表する2人の人を、
自分の名前にしちゃっているわけですから。
これは、ひそかに自信があったとしか、
思えないですよ。
いい度胸だと思いますし、
すげえことを実際したと思いますし、
言葉もすごいし・・・。
「転向」だと、向きが変わったんだ、
というように思われるところを、
「入」ですから。 |
糸井 |
「転向」って、相手側からの言葉ですからね。 |
吉本 |
「自分と関係ないところにあいつは行った」
という言葉じゃないから、いい言葉ではないですね。 |
糸井 |
おもしろいなあ、吉本さん。
今日はどうもありがとうございました。
(おわり) |