吉本 |
例えば日本近代文学で飛び抜けたと言えば、
明治以降なら、鴎外とか漱石とか、
近ごろで言えば大宰治とか、
その程度しか、いないのではないでしょうか。
その、「ごく、まれ」な人たちには、
これはちょっと普通の人以上だよ、と感じます。
つまり、
「10年何かをやった、という以上のもの」
を感じさせられます。
それは何かを本人として作った、
各人なりの工夫をした、と考えます。
それでも決して、
「才能として大きいから、
こういう作品を作ることができた」
とかそういう風には、思いません。
思わないというか、そういう考えを、
ぼくは、認めていない、と言いますか。 |
糸井 |
ぼくも、もともと、
似たようなことを思ってたんですよ。
「作品がとてもよく見えたりする」
ということって、ありますよね。
でもそれは、普遍的にすごいというよりは、
作り手の「からだのかたち」だとか、
「かおのかたち」の好みに
近いようなものだと思うんです。
好かれるとか嫌われるというのは、
作り手と受け手という動物どうしが、
においをかぎあうようなものから、
生まれるように考えています。
「あの人の、えも言われぬ世界」
と言われるようなものは、ほとんど、
ある時代の美意識の反映に近いと思います。
そういう、どうしようもない力が
働いてしまうのが、作品なのでしょうね。
それを言わないで、
普遍的にすごい作品だとか言って
いろいろな時代の、
いろいろな人間の感じ方を、
ぜんぶがまるで対等にはかることの
できるかのように扱うと、
ものを見る時に、
困ってしまうのではないかなあ。 |
吉本 |
そうだと思います。
ぼくは、
「10年以上やればなんだっておなじだよ」
ということだけは、言っても
間違ったことにはならないと思いますが、
逆に「あの人は天才だ」ということは、
なかなか言うことができないんです。
天才は、ない・・・。
ただ、要するに、
「天才領域」というものは、
あるぜ、というように思うんです。
ある時代には、才能を発揮できる分野があって、
そこに入った人の中には、かなり、
天才的なことをやれる人がいると思うんです。 |
糸井 |
吉本さん、最近、さかんに、
「天才領域」について、おっしゃいますよね。 |
吉本 |
そうですね。
個人ではなくて、ある領域に関して、
「これはすごいなあ」と思う時はありますね。
糸井さんにも、
ぼくはそう思うところがあって、
「この人、ちょっと天才的だねぇ」
と感じるところがあるのです。
それは、
「ある領域があって、
その領域に入って何かを専門にする」
みたいなことをやった人が、
天才的になりうる、
ということだと思うんです。
文学なんていうものは、
もう、どうしようもないもので、
つまり、もう、そういう領域なんて、
文学の中にはないんだよと、
ぼくは、そう思います。
「資質も何もなくても、十年間やれば
何とか商売にはなる」と考えています。
そこから超えて何かをしたという奴は、
いないことはないのでしょうが・・・。
せいぜい、
「百年にひとりかふたり」
くらいの数だよ、と思います。
なかなかそういうところには行けないし、
やろうと思ってできるものではないけれども、
そういう人は、いないことはないんだと。 |
糸井 |
そういう百年にひとりかふたちの人と、
十年間やった人との差は、もう、
背の高さとかに近いものだっていう? |
吉本 |
生まれつき体が大きかったとか、
太っていた、というものに似ているもので、
つまり、理由を言いようがないし、
そのことを言ったり聞いたりしたところで、
そうなれるというものでは、ないんでしょう。
10年以上の何かを感じさせる人は、
確かに、その人の内側から見れば
自分なりの工夫を何かしたのだろうけれども。 |
糸井 |
(笑)秘伝を。 |
吉本 |
だけれども、それは経験の問題では、ないよと。
言えないし、誰かが真似できるものではない。 |
糸井 |
うん。 |
吉本 |
経験だったら、間違いなく
「10年やったら・・・」
ということだと、ぼくは思えます。 |
糸井 |
それは、
イチローとかを見ていても、
それは、感じますよ。
「生まれもった種が」なんて言っても、
イチローのお父さんは選手ではないので、
野球選手としての資質なんて、
探りようがないですからねぇ。
お母さんに関しては、もうぼくら、
種をはかるとか何とか言う前に、
顔も見たことがないわけですから(笑)。 |
吉本 |
(笑) |
糸井 |
きっと、イチローのお母さん、
・・・・野球は、やってなかったですよね(笑)。
だから、種としてすごいかどうかは、
そうそうわからないと思うんです。
でも、イチローが飛びぬけているのは、
小学生の時に、4年間、お父さんと
毎日練習をやったって言うんですよね。
ぼくは、そこが「すごいな」と思います。
近所の野球チームがたいしたことない時に
「じゃあ、お父さんが
相手をするから、毎日やろう」
と、ふたりで、約束をしたわけです。 |
吉本 |
それは、すごいですねぇ。 |
糸井 |
お父さんは小さな経営者だったから、
自分の時間を、使える人だったんですね。
それで、お互いほんとうに、
毎日、約束を破らなかった。
その事実は、ある領域にしか
できないもので、さきほどおっしゃった
「天才領域」みたいですよね。 |
吉本 |
ああ・・・。
そうですねぇ。それだけやったら、
大抵は、もう、たくさんじゃないかって思いますね。
4年間で、もうたくさんです。
(※注:吉本さんがよく使う
「たくさん」という言葉は、ここでは
『もうそれで充分』の意になります)
(つづく) |