YOSHIMOTO
吉本隆明・まかないめし
二膳目。

<第7回 イチローの練習量は、たくさんじゃねえか。>

吉本 例えば日本近代文学で飛び抜けたと言えば、
明治以降なら、鴎外とか漱石とか、
近ごろで言えば大宰治とか、
その程度しか、いないのではないでしょうか。
その、「ごく、まれ」な人たちには、
これはちょっと普通の人以上だよ、と感じます。

つまり、
「10年何かをやった、という以上のもの」
を感じさせられます。
それは何かを本人として作った、
各人なりの工夫をした、と考えます。
それでも決して、
「才能として大きいから、
 こういう作品を作ることができた」
とかそういう風には、思いません。
思わないというか、そういう考えを、
ぼくは、認めていない、と言いますか。
糸井 ぼくも、もともと、
似たようなことを思ってたんですよ。
「作品がとてもよく見えたりする」
ということって、ありますよね。

でもそれは、普遍的にすごいというよりは、
作り手の「からだのかたち」だとか、
「かおのかたち」の好みに
近いようなものだと思うんです。

好かれるとか嫌われるというのは、
作り手と受け手という動物どうしが、
においをかぎあうようなものから、
生まれるように考えています。

「あの人の、えも言われぬ世界」
と言われるようなものは、ほとんど、
ある時代の美意識の反映に近いと思います。
そういう、どうしようもない力が
働いてしまうのが、作品なのでしょうね。

それを言わないで、
普遍的にすごい作品だとか言って
いろいろな時代の、
いろいろな人間の感じ方を、
ぜんぶがまるで対等にはかることの
できるかのように扱うと、
ものを見る時に、
困ってしまうのではないかなあ。
吉本 そうだと思います。

ぼくは、
「10年以上やればなんだっておなじだよ」
ということだけは、言っても
間違ったことにはならないと思いますが、
逆に「あの人は天才だ」ということは、
なかなか言うことができないんです。
天才は、ない・・・。

ただ、要するに、
「天才領域」というものは、
あるぜ、というように思うんです。
ある時代には、才能を発揮できる分野があって、
そこに入った人の中には、かなり、
天才的なことをやれる人がいると思うんです。
糸井 吉本さん、最近、さかんに、
「天才領域」について、おっしゃいますよね。
吉本 そうですね。
個人ではなくて、ある領域に関して、
「これはすごいなあ」と思う時はありますね。

糸井さんにも、
ぼくはそう思うところがあって、
「この人、ちょっと天才的だねぇ」
と感じるところがあるのです。

それは、
「ある領域があって、
 その領域に入って何かを専門にする」
みたいなことをやった人が、
天才的になりうる、
ということだと思うんです。

文学なんていうものは、
もう、どうしようもないもので、
つまり、もう、そういう領域なんて、
文学の中にはないんだよと、
ぼくは、そう思います。

「資質も何もなくても、十年間やれば
 何とか商売にはなる」と考えています。
そこから超えて何かをしたという奴は、
いないことはないのでしょうが・・・。
せいぜい、
「百年にひとりかふたり」
くらいの数だよ、と思います。

なかなかそういうところには行けないし、
やろうと思ってできるものではないけれども、
そういう人は、いないことはないんだと。
糸井 そういう百年にひとりかふたちの人と、
十年間やった人との差は、もう、
背の高さとかに近いものだっていう?
吉本 生まれつき体が大きかったとか、
太っていた、というものに似ているもので、
つまり、理由を言いようがないし、
そのことを言ったり聞いたりしたところで、
そうなれるというものでは、ないんでしょう。

10年以上の何かを感じさせる人は、
確かに、その人の内側から見れば
自分なりの工夫を何かしたのだろうけれども。
糸井 (笑)秘伝を。
吉本 だけれども、それは経験の問題では、ないよと。
言えないし、誰かが真似できるものではない。
糸井 うん。
吉本 経験だったら、間違いなく
「10年やったら・・・」
ということだと、ぼくは思えます。
糸井 それは、
イチローとかを見ていても、
それは、感じますよ。
「生まれもった種が」なんて言っても、
イチローのお父さんは選手ではないので、
野球選手としての資質なんて、
探りようがないですからねぇ。
お母さんに関しては、もうぼくら、
種をはかるとか何とか言う前に、
顔も見たことがないわけですから(笑)。
吉本 (笑)
糸井 きっと、イチローのお母さん、
・・・・野球は、やってなかったですよね(笑)。
だから、種としてすごいかどうかは、
そうそうわからないと思うんです。

でも、イチローが飛びぬけているのは、
小学生の時に、4年間、お父さんと
毎日練習をやったって言うんですよね。
ぼくは、そこが「すごいな」と思います。

近所の野球チームがたいしたことない時に
「じゃあ、お父さんが
 相手をするから、毎日やろう」
と、ふたりで、約束をしたわけです。
吉本 それは、すごいですねぇ。
糸井 お父さんは小さな経営者だったから、
自分の時間を、使える人だったんですね。

それで、お互いほんとうに、
毎日、約束を破らなかった。
その事実は、ある領域にしか
できないもので、さきほどおっしゃった
「天才領域」みたいですよね。
吉本 ああ・・・。
そうですねぇ。それだけやったら、
大抵は、もう、たくさんじゃないかって思いますね。
4年間で、もうたくさんです。
(※注:吉本さんがよく使う
    「たくさん」という言葉は、ここでは
    『もうそれで充分』の意になります)

(つづく)

2001-08-20-MON

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