YOSHIMOTO
吉本隆明・まかないめし
番外。

老いのこととか、人類の言語の獲得とか。

第5回 猫だって人語を解する。


前回の
「中でもって、中のことをわかる」
ということに関して、
吉本さんが、動物の比喩で
いくつか話してくださったことを、
今日は、ご紹介していきますね。


「言語が成立するところを調べてみたい、
 っていうことになると、サルみたいな社会と、
 民族語をしゃべるようになった人間とのあいだを、
 どう考えるのかっていうようになると思うんです。
 日本人は、京都での研究もありますから、
 割合に、サルのことは、よく研究してるんですね。
 ただ、サルもしゃべりませんから、
 そのへんは、長い間つっかえながら、
 『あ、少しわかってきたぞ』
 っていうことに、なるんでしょうと思います。

 人間の社会とサルの社会を
 比べることは、やればできるんだけど、
 サルの社会から、民族語をしゃべるようになった
 人間との間なんて、サルに訊いたってわからない。
 だから、外から見ないで、
 自分でやってみる以外に、ないんですよ。
 サルと、どうやって内的な交流を持つか……。

 言葉が通じねぇのに、どうやるんだ、
 っていうふうには思いますけど、
 やっぱり考え出すでしょうね、なんかは。

 つまり、我々だってさ、要するに……。
 たとえば、うち、猫がいるでしょう?
 それで、なんとなくわかることがあるんですけど。

 猫がいる中で、長老猫、年寄りがいるけど、
 それなんか、ほとんど
 人語を解するんじゃないかと思うぐらいですもの。

 『ちょっと後で遊ぶからな』とか言うと、
 ノソノソ遠ざかっていったりしますからね。
 そうすると、なんか、
 それアクセントできっとわかるんだとか、
 何言ってんだか見当つけるんだと思うけど、
 それぐらいだったら、
 『ぜんぜん通じねぇ』なんていうようなのは
 ウソだっていうような。通じますよね。
 ちゃんと、やってほしいふうに行動しますし。

 それで、まあ、
 他の猫をかわいがったりするとすぐ怒る。
 怒って、なんかそばへ寄ってきて、それでなんか、
 鉛かなんかを、口にくわえて持ってきてさ、
 『これ食え食え』って、持ってきたりもしますからね。

 要するに、声出して、こういうふうにすれば、
 何をやってくれるってことがわかるんですよね。
 長老の猫の動作を見ていると、
 『ぜんぜん通じないっていうのは違うだろう?』
 って思うんです。
 少しずつわかるぞ、
 っていうような感じはしますね。

 まぁ、サルの社会の研究をしてる人たちが
 どう思ってるか知らないけど、
 ぼくは、そんなことを、思いますね。
 サルを中からわかるようになれば、
 サルのほうも何となく、
 『あいつはわりあいに自分らの考えを
  わかるんじゃねぇかな』って思って、
 『あれ?』って、近づいて来ると思いますけどね」



長年、猫と暮らしている
吉本さんならではの言葉でした。

吉本さんは、もともと、
「人は、最初から群れている生きものではなくて、
 ほんとうは、孤独が好きなんじゃないか、
 だけど、群れないとしょうがないから、
 なんか、社会みたいなものを作ってきた」
というような、考えを持っている人なんです。

これも、きっと、
中で「そうだ」と思ったこと、なのかもしれません。
自分は、よく考えると、そうだもん、って。

そして、人が
「しょうがなく群れてきた」
ということに関しては、
マルクスに、そういう言葉があるそうで・・・。
会話に出てきたので、ついでに、紹介します。


「これは翻訳が正確かどうかはわからないけど、
 マルクスの書いたもののなかで、
 人間は要するに、孤独でね、
 つまりひとりひとりで生きたいにも関わらず、
 社会を作っちゃった、と、こういう言い方をしています。

 あんまり好きで作っちゃったわけじゃなくて、
 あれは、人間はそういう動物だからそうなんだ、
 っていうふうには、言ってないんですよ。
 で、あの、彼の言い方とかは、
 単独で生きたいっていうふうに思っていたんだけど、
 でも、群ができちゃって、それで、
 今のようになっちゃったんだ、っていう言い方ですね。

 マルクスは、かつて、要するに、
 人間の社会からサルの社会を類推することはできるけど、
 サルの社会から追及して
 人間の社会を類推することはできねぇ、
 ってことも、なんだか、言ってるんです」



人間と言語について、
吉本さんが話してくれたことは、
あと、もうすこし、お伝えしていきますね。

それじゃ、また明日。

2003-06-23-MON

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