80's
『豆炭とパソコン』のひとり旅。

第17回

さて、今年の3月4日。

お礼を言ってミーちゃんと別れた僕とまるいさんは、
ノリコさんの運転するクルマに乗って駅へ向かった。
連載中にも何度か登場した印象的なフレーズだけれど、
クルマでビューンは前橋の女性のたしなみであるのだ。

ハンドルを握るノリコさんと僕らは、
お茶の続きのような感覚でもってのんびりと話を続けた。
思ったとおりノリコさんの運転はとても安定していて、
失礼な言い方かもしれないけれどとても頼もしかった。

そして話しているうちに僕は、
ふとまたテレコを回してしまった。

おそらくそれにノリコさんは気づかなかったと思うし、
ちょっとルールに反しているかもしれない。
でもたぶんノリコさんは事後承諾ねと
笑ってくれるのではないかと思う。

そういうわけでテープは少し中途半端なところから始まる。


ノリコ (イトイさんがミーちゃんと会ったのは)
正確に言うと物心ついてから10回くらいなのかな。
ただ、母のほうは、お誕生日とかに
---それこそ自分のためにかもしれないけど、
贈り物をしたりしてましたけどね。
それでお礼の電話が来たりっていうようなことは
何度かしてましたけどね。
手紙が来たりとか。
まあ、年にそういうことの行ったり来たりが
2、3回くらいはあったと思うんですよ。
永田 ほぼ日の連載が始まるまえに。
ノリコ そう。
それがメールが送れるようになってからは、
何かというとお互いにやり取りしてますよね。
だからそういう意味で言うと、
以前の何倍にもなってるでしょうね。
永田 ふーん。


これは僕とまるいさんの共通の認識なんだけれど、
ミーちゃんの家にある不思議な暖かさは、
ノリコさんの存在をなくしては語られないのだと思う。
なによりもノリコさんは状況に対して冷静で、
---もちろん醒めているというわけでもなくて、
だからこそミーちゃんもミーちゃんとして
振る舞えているような気がする。

たとえばノリコさんの話は
ノリコさんの運転のように安定していて頼もしく、
聞いている僕らを妙に安心させる。
ノリコさんはそのようにして周囲を安定させることに
長けているようであった。

イトイさんがミーちゃんについて語るときも、
ミーちゃんがイトイさんについて語るときも、
ふたりのあいだには
お互いがお互いのために立ち入らないようにしているような
繊細な領域があるように僕は感じていた。
もちろんそういった領域は多かれ少なかれ
多くの親子のあいだに存在するものなのだろうけど。

でもノリコさんが
ミーちゃんやイトイさんについて話すとき、
僕らはその領域をあまり意識することがなかった。
それは、ノリコさんがそういった領域を
持っていないのだということではもちろんなくて、
ノリコさんが僕らに
そのデリケートな領域についてのことを、
少しずつ翻訳してくれていたのではないかと思う。
いまにして気づくけれど、
ノリコさんもやはりサービス精神にあふれているのだ。
ノリコ 何かがあるからちょっと話しとこうか、
という関係ではなかったんですよ。
でも最近は、日常的ではないけれども、
結局(連載によって)必要もあるし、
気分的にもずいぶん
交流が楽になったというのはあると思いますよ。
だから(ふたりの距離は)
だいぶ近くなってるんでしょうね。
母も口に出しては言わないけど、
もっと(家に)寄ったりしてくれればいいのに
っていうのは思ってたと思うんですよ。
それが電話したりメールしたりってするようになって、
寄れないんだっていうことを、
自分に対して納得させるのが
楽になったりしてると思いますよ。
寄れなくて当たり前というか。
たとえば、暮れに赤城の山を掘った帰りにでも
寄っていけばいいのに、って思ったりしても、
寄れない事情を考える余裕ができたというか。
寄れなくて当たり前ね、って考えることが
できたんじゃないかな。
たぶんメールがなかったときは、
そこまで来てるんだから寄ってくれればいいのに、
っていうほうがきっと強かっただろうと思うんですよ。
もちろん忙しいことは百も承知でね。
それでも寄ってもらいたいっていうのが
たぶんあったんじゃないかな。
ああ見えて母は意地っ張りの人だから言わないけど。
おまけに見栄っ張りですしね(笑)。
永田 (笑)
ノリコ すごい見栄っ張りですよ。
永田 でもそれがサービス精神に作用してますよね。
ノリコ そうですね、そういうところもある。
だからよく言うのは、
母は人が見えるまえにお掃除をする人。
私は人がお帰りになったあとにお掃除をする人(笑)。
まるい ちょうどいいですね(笑)。
ミーちゃんとイトイさんとノリコさんに
共通するサービス精神は、
しばしばユーモアというわかりやすい形をとる。
それで僕とまるいさんは
しょっちゅう笑わされていたように思う。
ノリコ 母がパソコンを始めて
謙虚になったというのはあると思いますよ。
自分自身に対しても、
大げさに言うと機械文明に対しても。
母はいつも
「私は小さいときから戦争とか震災の中にいた」
ってよく言うんだけど、
ぜんっぜんその苦労が身についてない人なんですよ!
永田・まるい あははははは。
ノリコ 家によく来る私の友だちがよく私に言うの。
「ノリコさんのお母さんってさ、
たぶん子どものころのまんまよね!」って(笑)。
永田・まるい (笑)
ノリコ みんながそう思ってるけど、
たぶん本人だけが違うと思ってる。
人様から見るとかわいいところよね。
だからシゲサトのことにしても、
客観的に見れば
小説になってもおかしくないような出来事なのに、
垢にまみれているようなところを感じさせないでしょ?
永田 そうですね。
ノリコ なんか、「私はこうだから」っていうので、
そのままお婆ちゃんになったようなところがあるのよね。
永田・まるい (笑)


クルマは駅に着いて、僕はテレコを止めた。
僕らは何度もお礼を言って、
ノリコさんはクルマでビューンと去っていった。

少し電車を待つ時間があったので、
僕とまるいさんは駅の小さな喫茶店で
コーヒーを飲みながら話をした。
僕らは多くの点で意見が一致した。

この本は、実用書に仕上げるべきではない。

さっきまで自分たちがいた、
ちょっと説明が難しいような暖かい空間。
ミーちゃんを中心に流れている不思議な時間。
連載で南波先生のレポートが垣間見せてくれた、
そういった大切な何かを僕らは本にしたいと思った。

そのとき僕はイトイさんとまるいさんのやり取りを
知らなかったからその言葉を知らなかったけれど、
要するにそれが“幸せな本”ということなのだろう。

さて、ここからは個人的な話になる。
僕は取材をするに当たってささやかな目標を立てた。
それは、例の繊細な領域と、
イトイさんが持つサービス精神に関することだった。

イトイさんという人は、
ここを読んでいる方ならご承知のとおり、
サービス精神にあふれている人である。
とくにこのほぼ日という場所は、
イトイさんのサービス精神に満ちている。

たとえばイトイさんは話の核心をよくユーモアで包む。
人の心に絶対残るようなことを言ったあとで、
必ずその人がそれによって過度に重たくならないように、
最後にユーモアとかサービスのシールを
ぺたんと貼り付ける。
それは計算しているわけではなくて、
あらかじめそういうふうにできているのだと思う。

風邪をひいてるときだって、
へこんで少し愚痴ってるときだって、
イトイさんはそうである。
それでこのページを毎日訪れることは、
僕ら多くの読者にとって重たくならない。

僕のような若造がイトイさんを分析するなんて
ひどく失礼なことだとわかっている。
イトイさんのファンの人が不快に感じたらごめんなさい。
でももう少し続けます。

僕は、取材をするに当たって、
そのサービス精神を少しだけ忘れてもらおうと考えた。
ちょっとだけ個人的になってもらって、
許されるならば
ミーちゃんとイトイさんが抱える繊細な領域を
少しだけでも垣間見せてもらおうと思った。
(ちなみにまるいさんもそういう考えだったと思う)

ほぼ日の連載では、
ミーちゃんとイトイさんはほどよい距離を置いている。
たぶん、それ以上近づくと重たくなってしまうだろうという
咄嗟に身をかわすようなサービスなのではないかと
僕は思っている。
それは、イトイさんの文面だけではなく、
ミーちゃんの日記からもにじみ出ているように思う。

おそらくこの本を
連載の再録という形のみで構成したならば、
その距離はほどよいままで保たれてしまうのだろう。
僕は、僕自身の勝手な欲求として、
その距離をほんの少しだけ縮めてみたかった。

かといって無礼に踏み込むつもりはまったくなくて、
イトイさんがいちいちサービスやユーモアを
貼り付けなくてもいいような感じでもって、
少しだけ奥のほうまで連れていってくれるような、
そんな本にしたかった。

そしてもうひとつ。

そうやって、イトイさんとミーちゃんの領域を
少しだけ現すことは、
個人的な関係を綴ることにとどまらないと僕は思っていた。

親子や、あるいは親しすぎる関係は、
多かれ少なかれ必ずそういった
互いが互いのために踏み込まずにいる
繊細な領域を抱えているのだと僕は思う。
たとえばそれは感謝や照れ隠しの形をとったり、
たまに感じるわずらわしさになったり、
ぎこちない礼儀を生んだりするのだろうけれど、
きっとなくてはならない大切な領域なのだろうと思う。

そして、インターネットやメールは、
その領域をうまく埋めたりつなげたりする
ちょうどいいコミュニケーションの機能を
持っているのではないだろうか。

実際、僕のまわりには親とメールで
ときどきやり取りしている人たちが何人かいるのだけれど、
なんだかそれはとてもスムーズである。
里帰りした実家で親のために
パソコンをセッティングするという話も
最近本当によく耳にする。

コピーライターの息子が80歳になる母にパソコンを贈り、
ふたりがメールやネットを通じて
その距離を縮めるという物語は、
その突飛な設定だけでひどく魅力的だ。
だけどそれはなにも特殊なケースというわけではなくて、
近かったり遠かったりするふつうの親子にとって、
とっても自然なことなのではないだろうか。

この本が“幸せな本”として仕上がれば、
“ふつうの親子を自然につなぐ”ことの
きっかけになるのではないだろうか。

僕は(そしておそらくまるいさんも)、
ぼんやりとそんなふうに感じながら、
イトイさんを取材することになったのです。

ちなみに、走り出したイトイさんが紡ぎだした言葉たちは、
僕らの目論見を遙かに上回る多種多様なものでした。

ええと、長々とたいへん申しわけありませんでした。
次回からの激闘取材編は
再びまるいさんにバトンタッチです!

 

2000-12-03-SUN

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