「お金じゃないよ。大事なのは人だよ」と、田内学さんは何度も語る。
お金への見方が変わる経済教養小説
『きみのお金は誰のため』が大ヒット中の
金融教育家・田内学さんは、
「お金は無力である」という独自の経済観をもとに、
日本の人たちのお金に対する認識を
変えようと頑張っている人です。
もともと米投資銀行のゴールドマン・サックスで
長年働かれていた田内さん自身、
あるときからお金に対する考え方が変わったのだとか。

そもそも、お金ってどういうもの?
日本では投資について、けっこう誤解がある?
経済の話が苦手な人でも、中学生や高校生でも、
みんなにわかりやすいように、
お金と社会の関係について教えていただきました。
6. それが「かっこいい」かどうか。
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田内
最後に、ご質問やご感想があれば、
教えていただけたらと思うんですけど。
国を変えられる自信がないのは
どうして?
質問者1
アメリカや韓国の若者たちには
「自分たちは国を変えられる」
という自信があるのに、
日本の若者たちはあまりそうでない
という話がありました。
その理由は何だと思いますか?
田内
まずは「教育」かなと思っていて。
日本ではそういうことって、
本当にうまく伝えられてないと思うんですね。
日本の若者って
「自分が投資される側の人間になる可能性」
というのを、ほとんど
教えられてない気がするんです。



たとえば僕が学生だった頃、
スタンフォード大の学生たちは
「Google」という画期的な情報検索エンジンを
作ったわけですね。
さらにそれをビジネスとして広げてて、
本当にすごいなと思ったんですけど。



なぜそれができたかというと、
彼らには「自分たちが社会の課題を
解決できるかもしれない」と思えていたから。



だけど当時、僕は東大にいたけれども、
自分にしても、周りの学生たちを見ても、
ほとんどの人が
「まずは給料の高い会社に入ろう」みたいに
考えていたような記憶があるんです。
だから、そうやって自分たちが
社会を変えていけるんだという発想が
もともとないのがまず大きいかなと。



もちろん、誰もが「Google」ほどの
画期的なアイデアを出せるかというと
難しいかもしれないですけど、
みんながちゃんと自分たちの可能性を
わかって意識するようになると、行動が変わって、
結果も変わっていくと思うんですね。
リーマン・ショックでわかったこと。
田内
僕自身の考えが変わった経験の話をすると、
実はゴールドマン・サックスで働いてたとき、
最初、もちろん仕事自体への興味はありつつも、
同時に「この会社に在籍してさえいれば、
高い年収をもらえて安泰だな」という意識が、
自分の中にもやっぱりあったんですよ。



だけど2008年にリーマン・ショックが起きて、
その考えではダメだと気づいて。



それまではどこか
「会社が自分たちを支えてくれてる」
という感覚だったんです。
ところがリーマン・ショックが起きたら、
アメリカの会社だから、バンバン人を切るわけですね。
そこで切られるのは
「今後続けてても、5年後10年後にはないな」
というビジネスに携わってた人たち。



遅いんですけど、僕はそのとき
「会社が自分を支えている」のではなく、
「自分が会社を支えている」
ということが、ようやくわかったんです。



会社で働くって、最終的に
外にいるお客さんや社会に対して、
価値あるものを提供できなければ、
やっている意味がないはずですよね。
だから僕はそのタイミングで
「社会に価値あることをやらなければ。
しかも自分がやらなければ」って初めてわかって、
仕事への向き合い方が変わったんです。



ほんとは会社という箱を通して、
在籍してる一人一人が社会に価値を提供してる。
だけど日本だと、
「社会により高い価値を提供するには
どうしたらいいかな?」とか、
そこまで考えられている人があまりいなくて、
「とりあえず、社内で失敗せずに
この椅子を守れればいいや」
とか思いやすいようなところがあるかなと。



もちろん会社がずっと続くなら
それでいいかもしれないですけど、わからないし。
あとはやっぱりお客さんや社会の人たちの
役に立てるって、すごく嬉しいことだし。
そういう発想で考えていったほうが、
楽しく過ごせると思うんです。
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どう、何を、伝えるべき?
質問者2
お話をありがとうございました。
今日のような話って、自分の子どもに
どう伝えればいいのかなと思うんですね。
働くって「誰かの役に立つ」のも大事だけれど、
「お金を得ないと生活していけない」
という部分もやっぱり大きいと思うので。
田内
そうですよね。そこ、僕もまさに日々、
難しさをすごく感じているところなんですけど、
まずは
「お金よりも先に人がいるんだ」
「投資は将来のためになにをするかが大事」
といった、社会の基本的な仕組みのところを、
できるだけ理解してもらえるのが
大事なのかなとは思ってますね。



「生活のためにお金を稼がなきゃ」
という部分というのも、絶対に大事なんです。
だけどみんなが完全にお金の部分しか
見なくなっちゃうと、社会全体が縮んで、
それこそ本当に全員の将来に関わってきますから。



もちろん、それですぐになにかが
変わるかというと、変わらないと思うんです。
だけどまずは経済と社会の関係を
正しく理解してもらわないことには、
考えが変な方向にも行きかねないので。



個人的にはいま、本当に危機感を持っているんです。
「どうも日本だけほかの国と比べて違うぞ。
みんなお金のことだけ考えてて、
社会のことを考えてないぞ」
「しかも、ただの資産運用を
『未来への投資』とかって美化しているぞ」
「みんながお金さえ稼げばいいとか、
完全に思うようになると先がなくなるぞ」
「このままだと本当にまずいぞ」って。



新NISAが始まって
「乗り遅れちゃまずい。あなた買ってる?」
みたいな感覚は、いやまずいし。
それは高校生とかに教える話では
全然ないと思うんです。



あとは日本だと、みんなのなかに
投資についての誤解が
ものすごくある気がしてて。



この前、ある漫画家さんと話をしたときも
「自分は投資されてこなかった人間なので、
もっとそうなるべきなんですかね」
っておっしゃられたんです。



横で担当の編集者さんが苦い顔をされてて、
僕はすかさず
「いや、この編集者さんはすでに
あなたにすごく投資をしてるんですよ」
と言ったんですけど。



作品をより多くの人に触れてもらえるよう
誌面に出したり、いい作品になるように
時間を使っていろんな準備をしたりしている。
それ、わかりやすくお金は動いてないけど、
そういう動き自体が将来への投資だし、
大事なのはお金よりもその動きのほうなんですよね。



でもいま投資って
「実際にお金が動くかどうか」のイメージで
捉えられすぎているんです。
「投資とはお金の話である」とか
みんなが思ってしまってると、
ほんとに変な方向にいっちゃうと思うんです。



だからほんと‥‥どうしたらいいんですかね。
正直僕も答えのないところがあって、
いろんな人のお知恵を借りたいんですけど。
かっこいいか、悪いか。
田内
今日は糸井さんも来てくださってますけど、
なにか思われるところはありますか?
糸井
まずはさきほどの田内さんの
リーマン・ショックのときのお話が、
非常にニュアンスに富んでいて、
僕としては特に面白かったです。



そして今日のお話、僕としては
「かっこいいか、悪いか」がヒントになるのかな、
みたいに思いながら聞いていたんですね。



昔だったらみんな、
「使えるお金が山ほどあって思いのまま」
みたいな人を、無条件で
「かっこいい」とか思えてたと思うんです。
あるいは
「財テクして1年で6万円増えました」
みたいな話とか、昔だと
「すげーな、何もせずに6万円?」って
みんな尊敬してくれたと思うんです。



だけどいま、そういう人を見ても
あんまりかっこよく思えないですよね。
いまは逆に、
「持ってるお金は小さくても
誰かに気持ちよくおごってる人」とか、
「お金が無いなりにすごくいい子が育ってる」とか。
自分の得ばかりを考えないで、
もっといいことのために頭を使って
生きている人の話とかに
「かっこいいね」と言う人が増えてる気がするんです。
写真
田内
そうですね。わかります。
糸井
で、外国の話でも、結局のところ
「何がかっこいいか」で判断してると思うんです。



さっきの
「日本の人だけが社会ととくべつ距離がある」
というのも、実は日本と他の国で、
かっこよさの基準が違うということが
背景にあるのかなと思ったりしました。



だから特別に「社会貢献をしなきゃ」
みたいなことを伝えることからというより、
みんなの「かっこよさ」の感覚が
すこしずつ変わっていくことで、
自ずと行動は変わってくるような気がしました。
いまもすでに、その芽自体はあると思うので。
田内
ああ、なるほど。かっこよさ。
糸井
つまり日本って、みんながずっと
「1人になっても大丈夫な俺」を
目指してきた歴史があるわけです。



戦後、なんでもパーソナル化していきましたよね。
「一家に1台」だったテレビが
「部屋に俺専用の1台がある」となるのが
進化だったわけで。
ウォークマンでも、なんでもそう。



「誰かの世話になるのはめんどうだし、かっこわるい。
村社会から出て、つながりなく
1人で生きていけるのが新しい生き方だ」
みたいなことにみんなが憧れてきた末が、
いまのような経済文化を作ってきたのかなと。
田内
あぁー。
きっと「パーソナルじゃつまらない」
糸井
でもいま、だんだんともう
「パーソナルじゃつまらない」という時代が
はじまっている気もするんです。



とはいえ、そのときのつながりって
昔みたいな血縁ではなくて。
今日はこの場に「ほぼ日」の人たちが
みんなで話を聞いてますけど、
たぶんみんないま、全然会わない遠い親戚より、
隣で一緒に仕事してる人のお葬式のほうが
行く気になってると思うんです。
そういうなにか、大事にするものが
近い人同士のつながりというか。



それは、今日の田内さんのお話とも
つながっていて。
さっきの田内さんのお話の結論が
「仲間を集めてるんです」だったことに、
僕はとても納得がいったんです。



たぶん田内さんも
「こういう奴らといたいな」って話を
してらっしゃると思うんで。
田内
そうですね。
「お金」じゃなくて「仲間」といったことから
考える人がもっと増えていったらいいな、
ということは、すごく思っています。
糸井
そしてそのあたりのことって、
できれば「社会」という言葉を使わずに
解決できないかなとは思いますよね。



日本語だとなんとなく「社会」というと、
「自己」と対立してるもののように
思えたりもするし、
「社会の貢献」という言葉も、やっぱり
輸入した概念を倣ってる気がしちゃうので。
田内
そうなんです。
だからいまもぼくは中高生に伝わるのは
「仲間」をいう言葉なのかな、と思ったり、
この本でも「ぼくたち」という言い方を
してるんですよね。
「ぼくたちをどう広げるか」とか。



なにかそのあたりについて、日本の人たちに
しっくりと理解できる伝え方が
できたらいいなとは、常に思っているんですけど。
写真
糸井
これはなんとなくのイメージなんですけど、
僕はもっとみんなベタベタすれば
いいなと思うんですよね。
つまり、役に立つ立たない関係なく
みんなで遊んでるのが子どもなんで。
実はそういうことって、
大人も自然にやってますけどね、
「飲みに行こうよ」みたいなことで。



だから、
「ベタベタするのってかっこわるいよね」
みたいに誰かが言ったとして、そこで
「いや、そう言っちゃうのって、
逆にかっこわるいんじゃない?」
みたいなことが言える感じになるのが、
「ほぼ日」チームの憧れではありますね。
田内
ああ、そういうことですね。
世の中的にそういう、一緒にいるみんなで
あたたかくつながりあうのが
かっこいい感覚が広まっていくと、
なにか、どんどん変わっていくような気がしますね。



今日はお金がテーマの話ですけど、
お金も結局、人と人の話がおおもとですから。
人同士の関係が何よりも大事なものとしてあって、
その上で、みんなが助け合うのを
お金という道具が助けてくれる。
そんなイメージを、まずは色んな人に
持ってもらえたらな、と思っています。
(おしまいです)
2024-11-20-WED
写真
『きみのお金は誰のため』
─ボスが教えてくれた
「お金の謎」と「社会のしくみ」



田内学 著
(本の帯より)
3つの謎を解いたとき、
世界の見え方が変わった。
「お金自体には価値がない」

「お金で解決できる問題はない」

「みんなでお金を貯めても意味がない」
ある大雨の日、中学2年生の優斗は、
ひょんなことで知り合った
投資銀行勤務の七海とともに、
謎めいた屋敷へと導かれた。
そこに住む、ボスと呼ばれる大富豪から
なぜか「この建物の本当の価値がわかる人に
屋敷をわたす」と告げられ、
その日から2人の「お金の正体」と
「社会のしくみ」について学ぶ日々が始まった。



元ゴールドマン・サックスの金融教育家が描く、
大人にもためになる経済教養青春小説。