物事をすすめるときに
「ちょっと無理をしないとできないこと」って
やまほどありますけど、
アメリカではそういうときの話が早そうですね。
そうだと思います。
結果の事を考えていますね。
逆に日本だとそういう発言は怒られたりする。
とくに福祉の話とかって、すごくむずかしい。
ぼくは67歳で、自分がこの年になって
考えるようになったんですが、
たとえばいま、大病院が大混雑してるんです。
みんな、風邪くらいで大病院に来るから。
そうなんですか。
そして風邪薬を出すだけなら、
町のお医者さんでも同じなんです。
だからそこで
「風邪くらいであれば
近所のお医者さんに行きましょう」
と言うだけで、たぶんもうすこしうまくまわる。
だけど、それを口にすると
「もし万が一のことがあったらどうするんだ」
という文句のつけかたができてしまう。
これはまあ、ほんとに一端ですけど。
そういう部分の発言、むずかしいですよね。
メディアが変に騒ぐこともあるし。
そう、面倒なのはメディアですね。
なにか目立ったことがあると
ワーッと集まって発言を広げるから。
このまえ褒めてたと思ったら、
こんどは非を見つけて、
「ああだから失敗するよ」と言ったり。
それが不思議ですよね。
日本のメディアは、みんなで応援していたのに、
なぜかうまく行くとすぐに落とそうとしますよね?
首相だって、総理になったら
すぐに非を見つけるから「え、もう?」みたいな。
「そこまで応援してたのに、
どうしてすぐマイナスを見つけるんですか。
チャンスをあげてください」
とはよく思います。
その感じ、すごいですよね。
そうなんですよ。
私見ですが、日本人はかなり
「石橋を叩きすぎて壊す」ところがあると思います。
もちろん、その徹底した慎重さが、
うまく働いている場所もたくさんありますけど。
実際にいろいろな人と話していると、
「壊すほど叩くのは違うでしょう」
ということについて
「そうだよね」と同意してくれる人の数は
増えていると思うんです。
たとえばさまざまなメディアが、
芸能界の人が不倫したとかで
「もう生きられなくしてやる!」
くらいの攻め方をするじゃないですか。
そして、そういうことをすると、
ほんとに人ひとりを生きられなくできてしまう。
そう、メディアは大きな暴力になりうると
感じる時がありますね。
そういう報道を見ながら
「あんなにみんなで責めることないのに」って
感じてる人は、ずいぶん多いと思う。
ただ、そこの
「あんなに責めることないのに」の気持ちで
つながれるメディアというのが、
まだないと思うんです。
そうかもしれません。
なにかあったときに
ただ非難するだけでは、ダメですよね。
いまの話で思い出したんだけど、
先日ぼくの友人がTwitterで
「野党精神」についてつぶやいていたんです。
「野党精神」。
どういう意味ですか?
大雑把に言うと
「いつも権力を持つほうの逆にいる」
というスタンスなんです。
それを
「自分には<野党精神>があるから」
なんて言って、
ちょっとかっこいいとか、立派なことのように、
思ったり、思われたりしてるんですね。
権力に立ち向かっているから?
そう。
だけど「野党」ってほんとうは
「自分たちがリーダーなら何をするか」が
いちばん大事ですよね。
だけど、リーダーの立場にはなりたくなくて、
ずっと野党でいたい人が、一定数いるんですよ。
そしてそれをぼくの友人が
「<野党精神>のようなスタンスって
かっこいいことのように語られるけど、
『責任は取りたくないけど人気は欲しい』
ってことじゃない?」
と言っていたんです。
‥‥その発言、すごいなあ、と思って。
それはたぶん、本質を突いてるんですね。
と、思うんです。
主流派の意見に
「ぼくはそれ、必ずしもよくないと思う」
とか言っていれば、
利口そうに見えるし、なにかやってる感じも出る。
だけどそれは言っているだけで、
実はなんにも変えてない。
だからみんながそういう姿勢を抜け出して
「自分がリーダーだったらどうやるの?」という
地に足のついた話をしはじめたら、
さまざまなことが変わると思うんです。
そうですよ。
問題の指摘だけならかんたんですから。
でも、そこからちゃんと具体的に行動して、
自分で実際に状況を動かしていかないと、
なにも変わらないと思います。
だけどたぶん、
その役割をしたくない人が、けっこういて。
それだと意味がないんですけどね。
ぼくはそのあたりのところ、
その方々に「恐怖心」があると思うんです。
「本当に行動しようとすると、
いまの自分の場所を失うかもしれない」という。
何かをするというのは、
安全な場所から離れないとできないからです。
でも、何も行動しなければ
そこには「現状維持」しかないと僕は考えます。
そうですよね。
そして政治家のかたというのは、
地位を守りたいからじゃなく、
何かやりたいから政治家になったはずだ、
と思いたいですけどね。
でも、メディアにしてもそういう立場をとりがちで、
ついつい「あれじゃ違うと思いますよ」とかばかり、
言いつづけたりする。
それだけ言っていれば、立派な意見になるから。
でもかんたんに言えても、
「じゃあ、あなたがやってみて」
とバトンを渡されたら、
けっこう大変なわけです。
そして、行動しない2番手のままで
ずっとみんなから「あの人は頭がいいね」とか
褒められていると‥‥一生が終わるんですよ。
‥‥ねえ?
でも、そんな話はアメリカにはないでしょう?
そうですね。
みなさん、自分がやりたいと思ったら
すぐに行動していると思います。
高校生とかだと多少周りの視線を気にして
動いたりしますけど、
基本的に「周りにあわせて発言しなければ」
といったプレッシャーはないです。
人の数が多いし、違う人や考えがいて当たり前なので、
みんながもっと大胆になると思います。
日本ではどうしても、周りを見ながら
「あの人はどう思うだろう?」と考えて
行動を決めやすいところが、あるように感じます。
(つづきます)
2016-7-13-WED