CCC増田宗昭+糸井重里 カフェの視線。

第1回 代官山プロジェクト

増田
いま、代官山プロジェクトというのを
すすめているんです、ぼくら。
糸井
ええ、聞いてます。
なんか、でっかいTSUTAYAをつくるとか。
増田
そうなんです。

まずは「それって何?」という説明から
始めさせていただいても‥‥いいですか?
糸井
はい、お願いします。
増田
代官山、旧山手通り沿いの4000坪の土地に
本、映画、音楽をたくさん集めて
大人のための「文化の森」をつくるんです。

カフェや、いろんなショップをならべつつ。
糸井
あの、ひまわり畑だったところに。
増田
具体的に言うと、たとえば「図書館」ね。

そこでは、平凡出版の‥‥
いまはマガジンハウスと言いますけれども、
大橋歩さんが表紙画を描いていた
『平凡パンチ』を、
創刊号から、ぜんぶ読めるようにする。
糸井
ほー‥‥。
増田
あるいは、
これまでパッケージ化されてこなかった
何千・何万という映画を
TSUTAYAのプライベートブランドから
DVDにして、観れるようにする。

つまり、
ここに来ればない映画はない‥‥みたいな、
そういう状態。
糸井
そりゃ、すごいですね。
増田
そんな構想を練っているんですが‥‥
そのために今日はね、
糸井さんに
ちょっと意見を聞きたいんだけれども、
いいですか?
糸井
いやぁ、たいしたこと言えませんけど。
増田
おととしの4月くらいだったかな、
TSUTAYAのフランチャイズのオーナーさんと
これ、300社くらいあるんだけど――
「5年後のTSUTAYAのお客さん」について
しゃべったんですよ。

糸井
あ、若い(笑)。
増田
これ、オレ、まだ30代くらいだから。

‥‥でね、ともかく、まぁ、
そこで使った資料がこれなんだけど、
ぼく、お客さんというのは、
「質と量」で語るべきだと思ってて。
糸井
ええ、なるほど。
増田
お客さんの質がどう変わってきているか‥‥
については
糸井さんの得意分野だと思うけど、
ぼくはね、「量」について、思うんです。

「お客さんの量が変わってきてる」と。
糸井
うん、うん。
増田
たとえば戦前、1930年代には
1年間で、
男100万人・女100万人の赤ちゃんが
生まれてました。

人口ピラミッドも
きれいなピラミッド型をしてました、と。

糸井
ええ、ええ。
増田
図を見たら一目瞭然ですけど、
ぼくらみたいに
60代の人間なんて、ほんのちょっと。

戦前の日本は、そんな感じだった。
糸井
はい。
増田
糸井さんは、1900‥‥。
糸井
48年です。
増田
つまり、いわゆる団塊の世代。
糸井
そうですね。
増田
戦争に行っていたお父ちゃんが‥‥。
糸井
帰ってきて。
増田
帰ってきて、
お母ちゃんと仲良くして生まれたのが、
ぼくらでしょ。

で、ぼくら団塊の世代までが、
なんとか「ピラミッド型」を維持してたんだけど
1970年代にはいったら
だんだん、形がいびつになってきちゃう。
糸井
ええ。
増田
ポイントになる大事な年というのがね、
みっつあると思っていて‥‥
そのひとつが、その1970年なんです。
糸井
ほほう。
増田
‥‥。
糸井
ん?
増田
‥‥これさ、釈迦に説法してるような
イヤーな気分になってきたな。
糸井
いえいえいえ(笑)。
増田
はやくもグッタリしてきたわ、オレ(笑)。
コーヒーかなんかください。
糸井
ははは(笑)。

増田
ほいでなんだっけ、
えぇと‥‥大事な年が3つあります、と。
糸井
あります、と(笑)。
増田
1970年、1980年、1990年、この3つ。

1970年は、ぼくらベビーブーマーが
続々と大学を卒業していって
企業が若い労働力を‥‥
ようするに
日本が高度成長のエンジンを手に入れた年。
糸井
うん。
増田
で、その大学を出たベビーブーマーたちが
10年、企業で働いた結果、
それまでの単なる「労働者」から
ひとりの「生活者」になった‥‥そういう年が
1980年。
糸井
うん、うん。
増田
まぁ、10年働いてたら
そこそこのお給料もらえるじゃないですか。

だから、これを言い換えると
日本ではじめて
「若者文化」や「若者市場」というものが
ある程度の規模で生まれた年。

TSUTAYAの創業も、1983年でした。
糸井
ほぉ、なるほど。
増田
で、彼らは
1990年に「高額所得者」になるんです。

クルマはBMWやわ、
カバンはルイ・ヴィトンやわ、
入れ歯は金歯やわ‥‥。
糸井
そんな(笑)。
増田
まぁ、ちょっと大げさに言ったけれども、
いずれにせよ、バブルのおかげで
1990年、高額所得者が大量に生まれた。

加えて、その時期には
彼らの子ども、
つまり第2次ベビーブーマーが
大学を出て、企業に入ってくるんですよ。
糸井
ええ。
増田
つまり、お客さんとしての高額所得者、
労働力としての若くて豊富な人材、
その両方を企業は手にして
人件費は抑えられるし、売り上げは上がるしで、
まぁ‥‥。
糸井
すごい利益が出ちゃった、と。
増田
ぼくが思うに、その時点、
つまり1990年で
日本の成長は終わってるんです。

終わってる‥‥んだけど、
未だに企業は
「前年比増」を追い求めてますよね。
糸井
それは無理な話だぜと。
増田
なぜなら
1970年に大学を卒業し
1980年に若者文化の担い手となり、
1990年に高額所得者となった
われわれ団塊の世代は、2011年の今‥‥。
糸井
60代。
増田
そう、どんどん年をとってきちゃってる。
さらに、若者の数は激減してる。

1年間に生まれてくる赤ちゃんって
少子化ってやつで、
もう50万人切っちゃってるんです。

TSUTAYAというのは、
今は20代のお客さんに支持されてるんだけど、
このままじゃ、つまり‥‥。
糸井
未来がない?
増田
そう。

20代の日本人の6割が
TSUTAYAを利用してくださってるんだけど、
それが、50代になると2割、
60代になると1割、
70代にいたっては、わずか5パーセントしか
TSUTAYAを利用していただけてない。
糸井
へぇー‥‥。
増田
だから、裏をかえせば
そこには、ものすごいポテンシャルがある。
糸井
つまり、50・60・70代に来てもらえる
TSUTAYAをやろう、と?
増田
そうそう、そうなんです。

ぼくらは、その年代の人たちのことを
プレミアエイジって呼ぼうとしてるんだけど、
そういう世代が楽しめる、
新しい「文化の森」を、つくりたい。

それが、代官山プロジェクトなんです。
糸井
なるほど。
増田
そして、今日、糸井さんとしたいのは
そういう空間ができました、というときに
プレミアエイジの人たちは
はたして、
そこで、何がうれしいんだろうねぇ?

‥‥という雑談めいた話、なんです。
糸井
わぁ、簡単じゃないなぁ(笑)。

<つづきます>

代官山にでっかいTSUTAYAができる!?

そのたのしみ〜な計画については
増田さんの新著
『代官山オトナTSUTAYA計画』で読めます。

ごぞんじのかたも多いかもしれませんが、
代官山の旧山手通り沿いに、
ずいぶん大きな空き地があったんです。

夏にはひまわりが揺れていて、
ちょっと、不思議な空間だったのですが、
2011年の初夏、
この約4000坪の土地に完成するのが、
「森の中の図書館」をイメージした
「次世代のTSUTAYA」。

この対談にも出てきますけど、
『平凡パンチ』を全巻あつめるなど、
ワクワクする計画を
いろいろ、たくらんでいるそうです。

そのコンセプトや経緯については
増田さんの新刊
『代官山オトナTSUTAYA計画』で
読むことができます。

今回の糸井重里とのお話を
別角度から編集した対談をはじめ、
ゲームクリエイターの飯野賢治さんや
建物の設計を手がけた
クライン・ダイサム・アーキテクツと
増田さんとの対談も収録されてます。

TSUTAYA社長の「経営観」が読める、
純粋な読み物として読んでも、おもしろそう。

代官山オトナTSUTAYA計画

2011年4月発売予定
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