今回のみちくさも、 夕暮れとともに終了いたしました。 寒い中でたくさんのお話をしてくださった、 諏訪さんに感謝です。 ほんとうにありがとうございました。
「たぶん」をつけつつも 植物の名前を答えられるようになる。
それが「みちくさの名前。」の、 すこしおおげさに言えば「目的」だったりいたします。 ここまでご紹介した23のみちくさのことを、 よろしかったらたまに読み返したりしながら、 どうぞその名前を、記憶にとどめてくださいね。
さて、冬のみちくさをお伝えしているあいだに、 季節は春へと移ろってまいりました。 ロゼットだった野の草たちは起き上がり、 いよいよそれぞれの花を咲かせる季節です。 もちろん、「春のみちくさ」を行わないわけがありません。 また近々お会いしましょう。 「冬の都会でみちくさ」編は、これにて終了です。
ハート型の葉が夜は閉じ、 片側が欠けているように見えるので “傍食(かたばみ)”と付いたという。 そう聞くとロマンチックな印象だけれど、 なにせカタバミ、庭造りの大敵である。 葉の色や形のやわらかな雰囲気は悪くはないので、 多少であれば歓迎するが、 その繁殖力たるやキリがなくて、 それでどうしても完膚なきまでに抜いてきた。 けれどカタバミ、庭がだめなら他で生きる。 地面以外の居住地は、石垣、道路脇、 窓辺や歩道橋のわずかな土塊までと、範囲が広い。 住まいの善し悪しに文句を言わず、問わず、逆らわず、 根を張り、生き続け、これでもかと草根性を見せつける。 そういうことは重々承知していたものの、 今回、青山陸橋下の、 アスファルトで固め尽くされた立ち入り禁止の空間に、 独りぼっちで根を張っていた1本(1根?)の ムラサキカタバミを見たときは、驚愕した。 分厚いアスファルトを突き破って生えているのだ。 どうしてそんなことができたのか。 どう考えても 空手の人が瓦10枚割るより大変なような気がする。 芽吹きの前にアスファルトが流されたとして、 このひ弱な芽、細い茎、柔らかい葉の どこにそれを突き破る力が潜んでいたのだろう。 植物の底知れぬ力。 神の与えた無言の力。 考えもなくやたら引っこ抜いていた自分が怖ろしい。 遠いのイヤ、狭いのイヤ、汚いのイヤ、と、 身のほど知らずの条件付けて、 住いの可能性を小さく狭めている自分が恥ずかしい。