或る春のこと。
白金台自然教育園の前を通りかかったら
目の前が真っ白になった。
貧血を起こしたのではない。
大きな桜の古木が1本と古い百葉箱が1台、
あとはいつも草がぼうぼう生えているだけの、
わざと手を入れないらしい前庭に、
背丈1Oセンチほどの草が大集合していたのだ。
そしてそれぞれが
星の形をした白い小さな花をびっしりとつけていたのだ。
それが巨大なレース編みのテーブルクロスのようになって
前庭を覆っていたのだ。
自然教育園で育てている植物には、
たとえ豆粒くらいに小さく見えづらいものであっても
名前札が立ててある。
しかし、純白のテーブルクロスのようになり
通行人の目を眩ませているそのものに名前札はなかった。
ということは、これは、
園内で大事に育てられている植物ではなく、
勝手に自ら生息している他の多くの前庭の住民と同じように
野育ちの植物なのか。
しかしここまでいっせいに咲き誇っている様子は
ここ数年で初めてだ。
フェンス越しに顔を近づけるとうっすら甘い匂いが届いた。
なんだろな。
こういうときは急ぎ家に帰って
牧野センセーに聞くのが常である。
が、なぜか、
花の形で調べたけれど
『牧野植物大図鑑』には載っていない。
一月後くらいに再び前を通ったら、
見えるのはだらしなく地べたに広がった細い葉っぱだけで、
あの白いテーブルクロスはきっぱりと姿を消していた。
いっせいに咲きいっせいに消えた。
狐につままれたような気がした。
おそらくその次の春だったと思う。
突然、ウチの外庭のあちこちが白く輝いたのだ。
外庭はマンション全体の庭になるので
いつも手出しはしないでほっぽらかしている。
だから雑草と呼ばれる草たちの
やりたい放題の場と化していて、
常にむさくるしい雰囲気がある。
ところがそこのあちこちにポツポツとだけれど白い花。
例のテーブルクロスの連中だ。
自然教育園前庭から種が飛んできたのだろうか。
でも種で増えるような顔つきではないしねえ、と、
今度はじっくりと対面観察。
3〜4センチの花の真ん中に
雌しべと雄しべが収まっていて、
そこからほのかな匂いがする。
細長い葉をちぎってみたら、
こっちは何とニラの匂いでびっくりである。
念のため花のついていない葉を引き抜くと、
線香花火のような根っこに
小さな真珠のような球根がたくさんついていた。
それがけっこうかわゆいのだ。
ウチに来た以上調べなくては、
と、本屋で植物関係本を盗み読みしてハナニラと知る。
ニラはニラでも中国生まれではなく、
南米産の園芸種で
食用には適さないとある。
これにはちょっとがっかりしたが。
しかし年々ハナニラさん方は生息域を広げ、
2,3年前からは内庭まで入り込んできた。
春先外庭から内庭にかけてびっしりと白くなり、
甘い匂いも漂ってそれは悪いわけではない。
いっせいに咲きいっせいに萎れるスタイルも、
私の好みである。
困るのはその後の、花の終わった4月過ぎの、
残されし葉っぱの姿だ。
心の支えをなくしたかのように
地面にべちゃっと曲がりくねって倒れている。
それがどうもイヤだ。
女に逃げられ嘆き悲しむめめしい男みたいじゃないか。
田山花袋の「蒲団」の中の、
中年作家の姿が重なってしまうじゃないか。
鬱陶しいじゃないか。
と、思うので。 |