「私の歩いたあとにはペンペン草も生えなかった」
と書いたのは誰だったっけ?
沖縄米軍基地の県外移転騒ぎでかまびすしかった先日、
軍事評論のナントカさんが
(日本国中に移転先はあるという意味で)
「ちょっと前まで戦闘機がびゅんびゅん飛んいた
ドコソコ基地なんか
今やペンペン草が生えている状況ですからねえ」と
喋っているのをテレビで見ながら、
ふと、そんな? が湧いたのだ。
それは、
つまりその書き手の人生は
“どんな侘びしい土地にも生えるペンペン草さえ
生えないほどのさえないものだった”のか、
“ペンペン草が生える余地すらないほどに
すべてのうま味を吸収し尽くした豊穣なものだった”
のか、どっちだろうか、と。
ペンペン草と聞いてすぐに意味がわかる人は
若者の中にいったいどれだけいるのだろう。
シルバーな私でも、
このどこにでも生える草が
ナズナ=ペンペン草=ビンボー草と、
三つもの名前持ちってことや、
どうして“ペンペン”と付けられているかのそのわけは、
実はつい先日まで知らなかった。
ビンボー草という名の由来なら簡単に推察できる。
貧乏なところ、つまり日の当たらない、
痩せた、水はけも悪いような貧乏(過酷)な土地にも
平気で群生することによると。
その意味から、
これが生えるところには貧乏神が宿るとか、
これが生えると周囲に貧乏と思われるとかで、
草むしりの絶好の対象になってきたのだと思う。
幸田文のようなシャキシャキした
おばあさんが言いそうだもの、
「そんなの生やかしてるとご近所さんに笑われるわよ」と。
しかしペンペン草のペンペンは、
なんでペンペンと呼ぶのか判らない。
例によって『牧野植物大図鑑』を繙くと、
“果実の形が三味線の撥に似るからこうよばれる”とあった。
確かにお三味の音はぺぺんぺんぺんと表現するものねえ。
でもこれだけでは何か物足りない。
春の七草の一つでもあるので
念のため甘糟幸子さんのご本『野草の料理』も開いてみた。
そしたら、ほらほら、ありましたよ〜、
ナズナをペンペン草と呼ぶについての文章が。
あの三角形の実を、ちょいちょい、引っぱってから、
草を振ってみると、
ちゃらちゃらと不思議な音がいたします。
猫の三味線、とも呼ばれていますが、
猫か鼠かはわからないけれど、
人間以外の世界がどこかにあって、
そこから聞こえてくる音のようです。
面白そうだ。
草の不思議を体感するこんな素敵で面白いことは
草摘み名人の甘糟さんにしかできないことかもしれないが、
試してみたって罰は当たらないだろう。
せっかくだから自分もやってみようではないか、
と、外庭に群生しているのを
ひとかたまり引っこ抜いてきた。
そして大きな実を付けている3本ほどを選び、
耳をそばだて甘糟式に、
“ちょいちょい”“引っぱり”“振る”をやってみた。
ん? 何も聞こえない。
もう一度“ちょいちょい”“引っぱり”“振る振る”と。
ん? 聞こえたような気がするが思い込みかもしれない。
さらにも一度“ちょいちょい”“引っぱり”“振る振る振る”。
ん? 気のせいかしら、
ちりちりした音が聞こえなくもないのだけどなあ。
と、まあ、そうわけで、
妄想だったかもしれないが聞こえた気がする。
ここはそういうことにして
ペンペン草の名前の由来を腑に落とした。
面白かったのはその数日後のことだ。
“ちょいちょい”に使った残りのペンペン連を
水の入ったコップに差して机に置いていたのだけれど、
目を近づけると撥という撥すべてが開いているではないか。
5つに裂開し直系2ミリほどの星の形に変わっている。
すでに茶色に変色したのもあれば、まだ緑色のもある。
緑色は真ん中に瑞々しい緑の種を抱えていて、
茶色のほうには何もない。
ということは、
撥の中ではたった一つの種が大事に育まれ、
種がそろそろ自立という頃、果皮は星の形に裂け、
さらに熟して茶色になった子から
広い世界へ飛び出していく‥‥
という仕組みになっているらしい。
だとしたら、
“ちょいちょい””引っぱり“振る”なんぞの行為は
まだその時期ではない彼らにとっては
迷惑千万なことだったんだなあ。
我が部屋で世界に飛び出した種は、
ノミの糞みたいな黒いミクロの粒々となって
机の上に散らばっていた。
ルーペで覗くと、その種もまた撥状なので、
さすがは親子といじらしくなる。
けれど集めて外庭のさらに外へばら撒いた。
ビンボー神はよそへ行け! と。
森さんに正式な和名ナズナの由来を教えてもらった。
諸説いろいろあるけれど、
“思わず撫でて愛でたくなる菜っ葉─撫菜”が転じて、
とする説が正しいのではということだった。
そういう割には、
最初に書いた2例でも判るように
あまり良い使い方はされていない気がするなあ。 |