小学校低学年のころ、
夏休みの一時期を祖父母の家で過ごしていた。
祖父母のほかに
大叔母さん、伯母さん、従姉妹、使用人など
たくさんの人が暮らすその家には、
午前中の小腹の足しや午後のおやつ、
さらになんだかんだとつねに食べものが卓に並んだ。
そのせいかよくお腹を壊して祖母に薬を飲まされた。
それは黒々とした正露丸だったり、
万能薬として昔から飲まれている
銀色粒の諸毒消丸だったりした。
祖母が「アーンしてべーろを出す」と命令する。
(そういえば子供言葉ではべろでなくべーろだったな)。
命に従い思いきりべろを出すと、
祖母はその真ん中に
爆薬でも置くかのごとく慎重に
艶消し黒や銀色の丸薬を並べた。
そして「くるっと巻き込みすぐに飲み込む」と命じた。
さすれば苦くないらしかった。
しかしうまくやれずに
いつもしかめっ面で終わっていたと思う。
そういう鍛錬の成果だろうか、
成人したのちはこの手の、
つまり薬草系の苦みを俄然好むようになった。
ハーブ料理はもちろん、
苦ヨモギを使ったアブサンやペルノー、
シャルトリューズなどの苦く強烈なお酒にハマった。
生薬、漢方薬、はたまた歯医者の消毒液まで好きで、
塗る量をダブルで頼んだらびっくりされた。
癖の強さがクセになるのだ。
中毒と呼んでもおかしくはない。
これら苦味のある薬草は匂いもきつく、
しょっちゅう薬草茶を煎じる我が部屋は、
人に言わせると「魔女の部屋みたい」らしい。
こういう強い匂いは
TPOへの気配りが大切になる。
旅先で電車に乗り、
車窓の景色にご機嫌になり、
ふんふんと鼻歌まじりに
仁丹を思いきり噛みつぶしていたら、
隣の人から困惑した視線が送られてきて反省した。
匂いが気に障るらしかった。
友だちの車でドライブに出たときも、
あめだま代わりに正露丸を舐めていたら、
「やめてくれえ〜」と懇願された。
子供のときからその匂いが嫌で嫌で
どうしようもないらしい。
実に好みは人それぞれだ。
「身体の本」で、
味覚をつかさどる感覚細胞“味蕾”は
舌の先端と両側にあり、
甘みは先端で、塩味、酸味、苦味は両側で感じ取る、
ということを遅まきながら最近知って「へえ」となった。
苦味を感じ取る味蕾は両側の奥にあり、
べろの中央部分の感知能力は薄いらしい。
「べろの真ん中に薬を置いたら巻き込みすぐに飲みくだす」
という祖母の命令を、
長い間“ちちんぷいぷい”と
同義語に思っていたのだけれど、
存外科学的だったのだ。
昔のばあ様はやはり賢い。
ところでニガナの味だけれど、
うまく言い表すのは難しい。
正露丸ともニガウリともヒマラヤ杉とも異なる苦味だ。
タイ料理の食材バイマックルート(こぶみかん)に
近いような気がするが、
きりっとした苦味というより、
何かもやもやとして懐かしさを誘う・・・
とでも言えばいいか、
何ともセピア色の味である。
ちぎったときに出るネバネバした白い汁が苦いのだが、
この苦味が虫を寄せ付けないのだという。
虫がこの葉を食べると
ネバネバした汁で口がべたつき(笑)、
それ以上食が進まないから、と、何かで読んだ。
読んでいるそばから
虫の目カメラで見たかのように、
その光景が鮮明に浮かんできた。
あわわと口に手をやる虫。
虫も口がべたつくのは嫌なんだろうなあ。 |