ダンコウバイという名前は初めて聞く。
ダンコウバイを『牧野植物大図鑑』で探すと、
トウロウバイとして登録してあった。
トウロウバイは漢字で書くと唐蠟梅。
その名の通り中国からの渡来もので、
観賞用として庭園などに栽植されてきたという。
唐から来て、
葉が出る前ロウバイに似た黄色い花を咲かせるから
トウロウバイ。
中国名であるダンコウバイを漢字で書くと檀香梅。
檀香とは、
ビャクダン(白檀)など香木の総称らしい。
中国でも園芸種として育てられているそうだ。
観賞用で園芸種、というスタートながら、
いつの間にか自立の道をたどり、
ここ八ヶ岳の小さな雑木林の中に居を据えて、
今や自然児の顔つきであるダンコウバイ。
その葉っぱから
どういう種類の“いい匂い”が発せられているかというと、
甘いような黴臭いような香ばしいような
襞の多い複雑な匂いである。
嗅いでいるうちに、その昔、庭に植えていたモミの木を
燃やしたときの哀しい気分を思い出した。
匂いは突然過去を呼び寄せる。
ダンコウバイとモミの木の匂いは
もったりした切ない感じが似ているのかもしれない。
その点、親戚筋のクロモジの匂いは、
たぶん先入観からだろうがもう少し洗練されていて、
きっぱりしている。
ただ単純に“かぐわしい”のひとことで済む。
たったひとこと“美人”で終わる人に似ている。
細くて黒くて微妙にかしいだ枝走りが、
京の名だたる芸子さんのように小粋だ。
そして、ふと、思った。
そんな粋筋さんを口にくわえることの優越感もあったろう。
くわえると、へいへいへい、ってなもんで、
日頃のうっぷん晴らしができたことだろう。
この枝を楊枝に使おうと発想した人の頭の中の、
奥の奥か、隅の隅に、
そんな意識がまったくなかったとはいえない、と。
いや、それよりも私が
クロモジと聞いて即座に思い出すのは、
初めて白状するのだけれど若い頃の赤恥事件だ。
スタイリストを始めて間もない頃、
「クロモジを探してきて」と編集者に言われた。
モノの蘊蓄を深めるページの仕事だったと思う。
当時はまだインテリアや
モノを専門とするスタイリストはいなかった。
ただ「好きらしい」というだけで
素人の娘っ子が抜擢された。
だから当然のこと無知無学。
クロモジとは何か知りもしなかったのに
馬鹿な頭で考えて、
かつらの一種と思い込んだ。
ほら、かつらのことをカモジと言うでしょ。
それで以前神田の街でビーカーを探していたとき
見つけていたかつら屋さんに出向いてしまった。
実直そうな店のご主人に
「クロモジありますか?」と訊いた。
ご主人はこちらをジッと見て、
しばらく考えを巡らせたのち、
落ち着いた静かな声で、
「うちには置いてないけどね、
かっぱ橋にはあるんじゃないかな」とおっしゃった。
もう、本当に、
あのときのご主人さん。
すみませんでした。
恥ずかしさのあまり
きちんとお礼も述べることさえできませんでした。
あれから馬鹿は馬鹿なりに生きのびて、
今こうして
八ヶ岳の素敵な雑木林の中にてクロモジと出会い、
一人密かに当時を偲んでおりますのです。 |