- ──
- 森山さんにとって、
演じる‥‥とは何でしょうか。
- 森山
- ‥‥何でしょうね。
- ──
- あるいは「役者という仕事とは‥‥」
みたいなことでも。
- 森山
- ぼく、もともと
ダンスからキャリアをはじめていて。
で、ぼくと同じダンススタジオに
通っていた女の子が、
劇団ひまわりに入っていたんです。
- ──
- ええ。
- 森山
- でも、あるときその子が、
あの『アニー』の主役に抜擢されて、
フッと、
スタジオからいなくなったんです。
ちょっとだけ好意を寄せていた‥‥
みたいなことが、
そのときうっすらあったりしたから。
- ──
- おお(笑)。
- 森山
- 舞台を観に行ったりとかしたんです。
彼女が出ている、その舞台を。
あと、自分の母親も、
ハリウッドミュージカルなんかが
大好きだったので、
ぼくも、よく観ていたんですね。
- ──
- ええ。
- 森山
- そういうことが重なって、
自分もやってみたいなと思ったのが、
きっかけだったんですが。
- ──
- あ、劇団ひまわりに入ったんですか。
それは、何歳のころに?
- 森山
- 10歳くらいですかね。
でも、結局、それから、いろいろと
舞台に出させてもらいましたけど、
「芝居って何や」ということを、
きちんと学ばないまま、
ここまで来たような気もしています。
- ──
- そう思われますか。
- 森山
- だからメソッドを語るということは
できないんですけど、
ぼく自身が、
どう考えているかって言ったら‥‥。
- ──
- はい。
- 森山
- ダンスの師匠が、
ストーリーを求める人だったんです。
- ──
- ダンスに、ストーリーを。
- 森山
- そう、たとえば
1時間半のレッスンがあったとして、
ウォーミングアップや
筋トレをしたあと、
最後の30分とか45分を、
その日の振付に充てていたんですね。
16小節くらいのものなんですけど。
- ──
- ええ、ええ。
- 森山
- そこに「ストーリー」を求めてくる。
言ってみれば何の変哲もない‥‥
いわゆるシアタージャズなんですが、
動きに感情を移入させろ、
そこへ、どんなふうに入っていって、
そこにはどんな物語が流れていて、
最後、どういうふうに
16小節を終えるのか想像しろって。
- ──
- シアタージャズというと、
舞台とかミュージカルで踊るような。
- 森山
- そう、なので、それ以来、
そういう感覚が、自分の中にはある。
結局、ダンスでも演技でも‥‥
ま、踊りの場合は顕著なんですけど、
外へにじみ出てくるのは、
それまでの
その人の生活や人となりなんだなと、
そこがいちばん大事なんだろうなと、
思ったりはしています。
- ──
- 自分自身。演じるとは‥‥踊るとは。
- 森山
- まあ、そうですかね‥‥うん。
ただ、今の話とは矛盾するんですが、
役者の仕事って、
どこかで寄る辺のない感じもあって。
- ──
- 寄る辺?
- 森山
- たとえ嘘だったとしても、
自分じゃない誰かになるわけなので。
だから‥‥そのせいで、
上手いとされる人であればあるほど、
アイデンティティとか、
自分自身を喪失してしまったりとか。
- ──
- そうなんですか。
- 森山
- もちろん、
喪失せずに上手い役者もいますけど、
どこか、借りものの自分が
評価されてくような事態に対しては、
誰しも葛藤すると思います。
- ──
- なるほど‥‥。
- 森山
- 自分じゃない自分が評価されている。
名前もすごく売れちゃって、
どんどん有名人になっていくという。
そこには、多少なりとも、
空虚なものが生まれると思うんです。
- ──
- ご自身としては、どうですか。
- 森山
- だからぼくも、そういう役者像‥‥
つまり存在の儚さ、
その反面の美しさに惹かれることは、
確実に、あるなと思ってます。
自分自身が
精神的身体的に傷ついてしまっても、
そういうところへ
ズドンと突っ込んでってしまえって、
そう思ってた時期もあるし。
- ──
- そうなんですか。若いころは?
- 森山
- うん。でも、そういうあり方が、
ちょっとちがうかなって思えたのは、
ぼくに、ダンスがあったからで。
- ──
- と、言いますと。
- 森山
- 踊りは、誰でもない「自分自身」が、
自分の足で立って、
動かなきゃいけないんです、結局。
つまり、踊りの場面で、
いちいち精神的に崩れてるわけにも、
いかないっていうかな。
- ──
- ダンスや踊りの具体性とか身体性が、
森山さんを、支えてくれた。
- 森山
- 29歳のときにイスラエルへ行って、
わかったことがあったんです。
- ──
- ダンスを学びに行かれたんですよね。
- 森山
- 理屈では、知ってたんです。
つまり‥‥いわゆる日本の芸能って、
マツリ的なものからきていて、
そこでは、何かしらの魂だったり、
神々しきものが
「依り代」となった人に降りてきて、
舞いをはじめる‥‥とか。
- ──
- ええ、ええ。
- 森山
- 人間の身体が「器」になるというね。
盆踊りの円環運動も、
精神にトランス状態を促しますよね。
集団でぐるぐる回っていれば、
自我がどんどん飛んでいきますから。
- ──
- バリの土着の奇祭なんかでも、
失神してる人がいたりしますものね。
- 森山
- そのときの「器」という考え方って、
舞台であれ、映像であれ、
日本やアジアの表現の世界では、
ベースになっていると思うんですね。
- ──
- なるほど。「器、依り代」的俳優観。
- 森山
- でも、かたや
イスラエルのダンスカンパニーでは、
みんな、ここが「消えない」んです。
- ──
- 顔、が?
- 森山
- そう。
- ──
- 消えない。
- 森山
- うん‥‥でも、日本のダンサーって、
消えるんですよ。
顔が。
<つづきます>
2020-12-04-FRI